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散歩の言い訳


コトリンゴ -「 悲しくてやりきれない 」



幽霊ににおいがあるのであれば、もしかしたら苔の表面に結露した湿気のにおいに近いかもしれない。すっかりきのうの幽霊にとりつかれてしまったようだ、ときどき、肌寒い感触にからだがぶるっとする。

雨音には、どこか見知らぬひとのささやきがまぎれこんでいるようで、いつまでも耳を閉じることができない。あるいはゆうぐれの深さをおよぐ魚にでもきいてみようか。

   *

柿の木の枝にひっかかった、いつかの日付が、風にたわんでいる。みずたまりの底に、昏い鳥たちのさえずりがわだかまっている。ふたしかなものでしかない遠近のあわいを、小雨がとりつくろっている。つまさきがつめたい。百円ショップで靴下を買った。

正午、商店街の通りに人影はない。はいいろのまち、とぼくたちはこころのなかでつぶやく。そしてそれから、古書店のむこうにかかっている、名もない、つめたい虹を見つめた。

(渋い。ぼくたちがおもいでから遠ざかるにつれて、まちの距離はとても渋くなった。おもいでにつまずきがあったとしても、つまずきの錯覚だけはまちの速度にふれえない。まちはそれほどぼくたちの視線から遠く離れていた。ぼくたちが測定できない時点からもうすでに虹がぼやけているというだけでは不十分で、ぼくたちはただ、ありふれた喧騒を抱きしめている。あるいは閉めだすことのできないものらの凝視を)

名づけようのないかなしみを、風のなかにまぎれこませてみても、さしあたりなんの展望もない人生だ、そっと中身をうかがうように薬膳スープを飲む。

雨音といっても、雨それじたいには音はない。時折、洗濯ばさみが柘榴の実のようにはじけるので、それを雨音と呼ぶことは可能だろうか。

柿の木に梯子をひとつかけると、孤独はますます深まるばかりだ。ぼくたちをふりかえらせようとする影の正体は、遠い夕立。遠い地平線。

   *

まよなかのみずうみは、まるで切手のようにしずかで、あかるい。




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