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たとえば、地球のこととか、ひとのこととか


O "Fly On" - Coldplay



 地球が水を一滴もこぼさないように、ひともまた、ひたすらたえなければならないのか。しかし、いったいなににたえろというのか。なにに、というよりは、なぜ?――その「なぜ」にたいしてもうまい言い訳が浮かばない。もしかしたらなにもないと決めつけていたところになにかがあるのかもしれないし、書きものやおしゃべりをやめたとたんにはっと気がつくこともあるのかもしれない。地球が水を一滴もこぼさないのに、その内側で雨がふるのはなぜか。窓に水滴がつくのはなぜか。感情をかき乱すのもこの「なぜ」であるが、思考の輪郭をゆがませてしまうのも「なぜ」だ。忠実に〝生きられた経験〟を生きるのは至難の業だとおもう。
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 みんなひとりぼっちだけど、すこしだけ他人とつながっている。まずはそれじたいでは目的性をもたない、ということが肝要だ。きこえない風の音をきき、見えない夕やけを見ながら、「すてきな旅を!」と声をかけあい手をふりあう光景のさみしさは、かえってふしぎなやさしさに満ちてもいるが、その奥のほうでは決定的に藁の焦げる風味を嗅ぎとっている。
 焦げたさみしさ、焦げたやさしさをまといつかせながら、一個の孤独さは合言葉を待っている。その合言葉があれば扉はひらかれる。沈黙の糸はほどかれる。どうやらじぶんにたいしてつかうのはルール違反らしいが、しかしその合言葉を知っている者はだれひとりとしていない。たんなる神様のいたずらなのか。つねに、ふやけた距離だ。
 散歩中、ふいに枯れ葉にも重さがあるのだと知った。もしこんなふうにおだやかでものしずかな重さであれば、いともたやすく風に攫われることも可能だろうに――。
   *
 ひさしぶりに紙飛行機を折った。書きたくても書けなかったおもいをようやく書きとめた手紙を、紙飛行機という晴れがましさに託して、近さの底へ、遠さのむこうへ、放ちたかった。
 いちど放ってしまえば、もうすでに――ことばも行為も――子どもじみてしまっている、というのに。
 地球は水を一滴もこぼさないのに、ひとは湿っている。




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