FC2ブログ

記事一覧

六月


Erik Satie - Gnossienne, 5.



(サティの音楽には
見えない蝶が
無数に飛び交っていて
ときどき僕の耳にも止まってくれる)

   *

いつか遠足文庫で会った少年が夢にでてきた。
そういえばどこかふしぎな魅力をもった少年だった。
表情としぐさがナイーブで、
ことばづかいもまた、
しずくのしたたり落ちる寸前で
もちこたえているかのようだった。
夢でもぼくは彼を段ボールの橇に乗せ、
ひもを引っ張りながらのろのろと
園内を歩きまわった。
うしろをふりかえると、
少年はやはり思慮深い面差しで
ぼくを見つめていた。
ぼくも、そうだった。
彼ほど繊細ではないが、
まわりの人間の機微と
その距離感を
つねにうかがっていた。
あと、ことばだ。
相手がどんなふうにことばをつかうのか、
注意深く耳を傾けていた。
どのことばを
どのようにつかうのか。
ことばと、
ことばの温度を、
たしかめたかった。
「本は好き?」ときくと、
少年はちいさくうなずいた。
「どんな本を読むの?」
「……探偵もの」
「シャーロックホームズとか?」
「うん」
「へー、いいなあ」
こころから、
いいなあ
とおもった。
きみは
いいなあ、
きみは
すてきだなあ、と。
だから、ぼくはサティのCDをプレゼントしたのだった。
たしか「ジムノペディ」がはいっているアルバムだった。
夢のなかでも、
あの日あのときとおなじように
彼はかすかに息をのみ
目を見開いて
よろこんでくれた。
そういえば、
以前親しかった友人に、
「おまえはなんでもかんでも
ひとにモノをあげるくせがある。
子どもにむずかしい哲学書なんてあげて、
読めるわけがない」
などと、あきれられたことがあるが、
読めなければ眺めればいい。
「敷衍」とか「止揚」とか、
「形而上」だとか「弁証法」だとか、
眺めていれば知った気になる。
すこしだけ、かしこくなった気がする。
それでいいじゃないか。
意味なんて
わからなくても。
いまならそんなふうに
やんわりとこたえることができるが、
そのときはぼくもむっとして、
「タモリさんは、『酒でもなんでも最初のうちに一流のものにふれておいたほうがいい。無理して背伸びしたほうがいい。入門なんてない 』っていってたぞ!」
なんて、へりくつをこねるものだから、
こんなささいなところからでも関係性はもつれていき、
しまいには収拾がつかなくなることもあった。
ばかばかしい。
わらえないほどのばかばかしさ。
少年の、
あの思慮深さを
見習いたい。
あの表情やしぐさを。
あの、ことばの的確さを。
いまも本は好きなのだろうか。
好きなひとはできただろうか。
遠足文庫での時間を、
おぼえているだろうか。


スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント