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五月


寺尾紗穂 - ​幼い二人



オノレ・ド・バルザックは1850年の夏に51歳で死んだ。そしてぼくのじいちゃんは昨年の秋に85歳で死んだ。バルザックとじいちゃんは、もうこの世にいないこと以外、なんの接点もない。じいちゃんは本を読まないひとだったし、芥川龍之介や夏目漱石、森鴎外くらいは知っていても、幸田露伴や永井荷風になると、たぶんきっと、わらってごまかすか、知ったかぶりをするか、そのどちらかだったろう。では、なぜぼくがバルザックの死と、じいちゃんの死をひきあいにだしたかというと、ただたんにそうしたかったからだ。……

カフェの店員さんに「なに書いているの?」ときかれ、「ただのおもいつきです」といってノートを閉じた。
「苔を食べて生きています。」というロゴ入りTシャツを着た青年と目があってしまった。
コーヒーはすっかり冷めていて、亡霊たちがある事ない事をささやきあっている。

(どこかで、ありもしない鳥のはばたきが、
非在の記憶のようなものを
書き換えようとしているらしい。)

以前、譜面を読む鳥を飼っていた。その鳥はくちばしでピアノを弾くこともできた。一音一音、たどたどしくもていねいに、また、冷静でありながら情熱的に音を生みだすその様を見ていると、なんども胸が高鳴るのだった。

帰り道。すこしずつ蒸発していく水たまりを見つめながら、いまもしここに、この水を飲みにくる鳥がいれば、ぼくはまちがいなくその鳥を愛すだろうとおもった。

それから、痛みをともなわない方位などない、ともおもった。鳥は、だからほんのすこしだけ体温を宿しながらも、みずから飛びたつほうへ、「かもしれない」をはばたかせる。あくまで、「かもしれない」という不確定要素を。それ以外には考えられない。

ゆうぐれの深さを見あげて、しばらくのあいだ、鳥の心境を味わってみた。




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