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五月

 平成の終わりごろから(そんなふうにいうと、ずいぶんと間遠い過去のようだが)ずっとつづいている体調不良を引き下げて市内の急患診療所へ。
 待合室で、「ちょっと不謹慎かな?」と思いつつも、キルケゴールの『死に至る病』を読んでいると、すぐ横にいた、目がくりくりしたややおかっぱ風の女の子が「何読んでるの?」と訊いてくるので、「生きるエネルギーがたくさんつまった本です」とうそぶいてみたものの、あとから考えてみればまったくの的外れというわけでもなく、むしろ的を射た回答をしたような、なんとなくほこらしげな気分になった。

   *

 お昼はおにぎりを一個食べるのもしんどく、早朝、眠りのさなかに置き忘れた耳が、いまだにころころと幽冥の境を行ったり来たりしているのか、耳もとがぼうっと熱く、遠く、そのうちただれてしまいそうだった。
 それからうつらうつらしていると、知り合いの子どもから電話がかかってきて、「どうすればサッカーがうまくなる?」と訊かれた。
 しばし熟考したのち、「誰かこころの底から思うひとがいれば、実力以上のプレーができると思うよ」とこたえた(あとになって、なんてはずかしいことをいったのかと、反省したのだったが)。
「実力以上のプレーをしたことある?」
「さあ、どうだろう」
「なかったら、いえないよね」
 最近の子どもというのは、ひとのこころのうちを見すかすような存在の仕方である。

   *

 絶望しているのか、と自問すれば、首肯する。三十年あまりの人生のなかで、「絶望しているのか」と問いただして「していない」とこたえられた時期など、はたしてあっただろうか。絶望から遠かったのは、洟を垂らして虫をつかまえたりシャベルで土を掘ったりしていたころぐらいのものだろう。
 つよく理想を思い描けば思い描くほど、その思いがつよければつよいほど、からだもこころもかたくなり、ことばもぎこちなくなって、ほとんど真逆の結果が訪れるのは、いったいどういうことか。うなだれ、うずくまり、ときには不発弾さながらのテイで過ごすしかないこともあるにはあったが、でもまあ、いまもこうやって生き生かされているのだから、上出来というしかない、とは思う。




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