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泡だちこぼれるなにかを――青木幸太さん写真展「TRIPPING OUT」(2019年3月21日-24日)

青木幸太さんの写真展「TRIPPING OUT」(1)



 いま、鳥取市栄町のギャラリーそらで青木幸太さんの写真展「TRIPPING OUT」が開かれている。「旅にでる」をテーマにした作品が展示されているが、ぼくがもっとも興味をひかれたのは〝旅人〟である青木さんご自身のありようだ。青木さんはいったいなにものなのか、いったいなにを見ようとしているのか――。
 旅の基本は横移動である。A地点からB地点へ、B地点からC地点へ。青木さんの視線と並行するように、色とりどりのスニーカーや女性の横顔や縁側でむかいあった夫婦、日本海の波間や航跡をひく船などの――比較的、横への意識のある――風景が写真におさめられているが、ふいに「縦への意識」がかいま見られる瞬間がある。
 それは、あるいは〝泡〟のようなものだ。どの写真にも泡の予感がひそんでいて、見る者の目にふれた瞬間、記憶の底からどっとふきあがってくるのだ。
 明るみへ浮上し、明るみで浮遊する、泡。気まぐれにぶつかりあい、くっつきあい、やがてはじける、泡。卯の花のようにすこやかに生まれては消えていく、泡。
 泡は〝あわい〟を生む。それとも、泡そのものが〝あわい〟なのだろうか。
 泡は音楽的で詩的で、どこか散文的でもある。
 そんなつかみどころのないものを、旅先で見つけては撮っていくこと。そこにある日常に、なにか代入できる要素を発見していくこと。
 ……旅は、青木さんにとって日常からはなれる「もの」(=手段)ではなく、日常に気づく「こと」(=現象)ではないか。ぼくはそうおもった。
 撮られた「もの」と撮られなかった「こと」。撮られた「こと」と撮られなかった「もの」。そういった「もの」や「こと」の〝あわい〟で、あえて素性のしれない旅人に扮した青木さんは、未定稿の経路にさからうように、なんどもなんども、くりかえしくりかえし、際限のない問いを訪いつづけているのではないか。取り替えのきかないその場所の、その風景の、その一瞬、シャッター音が静寂を切り裂く。
 泡だちこぼれるなにかを、記録としてのこすために。



青木幸太さんの写真展「TRIPPING OUT」(2)


青木幸太さんの写真展「TRIPPING OUT」(3)




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