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タイムマインド(潤一編)(84)


       二十七

 卒業式が終わり、そして教室に戻って、各々に卒業証書が手渡された。女子のほとんどが泣いていて、男子のほとんどが笑顔だった。
 担任の近野は教壇に立ち、後ろ手に窓の外を眺めながら、言った。
「この三年間、あっと言う間だったな……」
 女子たちは一斉に近野のところに集まった。
 僕は学生鞄を片手に立ち上がり、使い古した席から離れた。廊下の手前で、久野、と、僕を呼び止める声が聞こえた。
 振り向くと、近野が教卓に手を置いて、こちらを見ていた。
「最後まで言ってくれなかったな。もしかして、忘れてる?」
 近野は眉をつり上げて、言った。
「……六年ぐらい前になるかなぁ。俺たち一度、市民プールで会ってるだろ?」
 驚いた。
「知ってたんですか!」
「うん、このクラスの担任になって、はじめて久野を見たとき、すぐわかったよ」
「……そうだったんですか」
「言いたかったことはそれだけ」
 近野は目尻にしわを寄せて、
「卒業おめでとう」
 僕は軽く会釈して、教室を出た。熱く抱き合ったり、ふざけあったりしている生徒たちの脇をするすると抜けていった。
 下駄箱ではちょうど宮崎が靴を履いていた。一瞬どうしようか迷ったけれど、話しかけることにした。
「掲示板、見たよ」
 僕は彼女の横に靴を置きながら、言った。
 宮崎はこちらを見ることなく、
「そう……」
「あれを読んで、はっきりとわかった。前世に振りまわされるんじゃなくて、今、自分がどう思うか、どうしたいか──それが一番だってことを」
 うん、と彼女はうなずき、しばらくしてから顔を上げた。
「あたしね、前から、好きな人がいるの」
 数人の生徒が横を通り過ぎていった。
「今日、告白するつもりなんだ」
 僕はほほえんだ。どういうわけか、さっぱりとした気分になった。そのまま校舎を出ようとしが、ふと足を止めて、後ろを振り返った。
 宮崎、と、僕は彼女を呼んだ。
「今度生まれ変わったとき、もし、僕がカラスで、宮崎の方が案山子だったら、どうする?」
 彼女は少し考える素振りをしてから、大声で言った。
「だったら、稲穂を好きになる! カラスなんか大嫌い!」
 鼻にしわを寄せ、舌をちょろっと出す。
 僕は笑いながら踵を返した。外のやわらかい日差しが体を包み込んでくれる。
 あちこちで人が笑い合っている。翔ちゃんとクマ先生、翔ちゃんの母親、そして僕の母の姿があった。クマ先生はカメラを持ち、何やら指示をしている。翔ちゃんは唇をとがらして居心地が悪そうだ。
 さらにその向こうには、楠田がいた。数人の連れと話し込んでいる。
 楠田を見ても怒りは感じなかった。むしろ、すがすがしかった。二年前の文化祭の日、あのとき、楠田が割り込んでこなかったら、僕は、宮崎を捕まえてどうするつもりだったのだろう。最悪の場合、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。だから、楠田には少しだけ感謝している。
「潤一君」
 校門を抜けたところで声をかけられた。僕ははっとして立ち止まった。
 そこには制服姿の河名愛がいた。髪は耳にかかるほどの短さで、顔は以前よりもシャープになっている。フレームの細い眼鏡をかけている。
 どうして、と僕はつぶやいた。
 愛は照れ笑いを浮かべた。
「ひさしぶりだね」
「どうして……ここに?」
「潤一君から連絡が来るまで待っていようって決めていたけど……もう耐えられなくて、会いに、来ちゃった」
 ──え?
 信じられなかった。
「僕のことなんか忘れていると思ってた」
 僕は思わず本音を漏らした。
 愛は目をぱちくりさせて、
「忘れるわけないじゃん」
 胸が締めつけられた。
「自分でもわからない……わからないけど」
 彼女は笑顔を僕に向けて、言った。
「でも、こういうのは理屈じゃないよ」
 理屈じゃない──本当にそうだ。いちいち考える必要などないのだ。
 ごめん、と僕はぼそりと言った。今まで……ごめん。
 彼女は上目づかいに、こちらを見つめている。
 僕は視線を上に向け、涙をこらえた。胸が詰まって、なかなか言葉が出てこない。
 長く尾を引いた飛行機雲が消えかかっている。

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