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タイムマインド(潤一編)(77)

 そして文化祭の日がやって来た。天気予報では夕方から雨が降るらしく、みんなで火柱を囲い「マイムマイム」の曲に合わせて踊る、という、文化祭には欠かせない恒例イベントが行われるかどうか、心配だった。小降り程度なら予定どおりだろうが、本降りになるとだめだ。今は晴れているが、これからどう天候が変わっていくかと思うと、僕は内心慌ててしまう。
 映画係の僕たち四人は、午前の部に二人、午後の部に二人、それぞれ分かれて務めようと決めていた。僕は午後の部で、宮崎と組んだ。空の表情が気になるが、とりあえずは順調に事が運んでいった。計画を実行に移す日が来たのだ――僕は、この日に賭けていた。彼女が自分の前世を思い出してくれることを願っていた。
 午前中は校内をまるで放浪者のように当てもなく歩きまわって、時間をつぶした。他校の生徒や一般の人がそこらじゅう行き交っていて、校庭に点在する屋台から活気ある声が上がっていた。
 僕は、翔ちゃんが店主を務めるたこ焼き屋に行った。頭にタオルを巻き、そこに扇子を差し込んだ翔ちゃんは、休む暇もなくたこ焼きを売りさばいていた。青海苔のこうばしい香り。ひとパック買うと、もう一つ、おまけしてくれた。あまりにもたこ焼きがうまかったので、その場でぺろりと平らげてしまった。
 そろそろ午前の部と交代だな、と思いながら、校舎に入った。
 と、下駄箱に張り出された案内図を眺めている女性と目が合った。僕はひどく驚いた。マジかよ、とつぶやかずにはいられない。
 母だった。ニットのセーターの上に黒いジャケットをはおっている。
「なに予告もなく来てんだよ。今日は休みじゃないだろ。仕事はどうしたの」
「時間をずらしてもらったの。三時には行くつもりよ」
 母はにこっと笑い、また案内板に顔を向けた。
「ところでさ、潤君は映画係なんでしょう? どの教室でやるの? 最近、視力が落ちちゃって、見えづらいのよ。そろそろ老眼鏡を買わなきゃいけないのかしらねぇ」
 僕はため息をつきながらも、こっちだよと言って、母を映画の教室まで連れていった。
 教室にはすでに宮崎の姿があった。前方のスクリーンと向かい合ったかたちで椅子が並んでいて、中央に映写機が置かれている。今はまだ昼休憩だから客は一人もいない。厚手のカーテンが閉められていて、室内は薄暗かった。
 母が廊下側の席に座るのを見ながら、僕は、窓際にいる宮崎のところへ行った。
 彼女は小声で、
「誰?」
 僕は、うちの母親、と答えた。横目でうかがうと、母は楽しそうにあたりを見まわしている。ひさびさの学校の雰囲気を味わっているのだろう。
「久野君んちのお母さん、きれいだね」
 宮崎が囁く。
「お世辞はいいって」
 宮崎は、そんなことないよと言う。彼女の言葉には誠実さがこもっていた。本当に母のことをきれいだと思っているみたいだ。
 僕はもう一度、母の顔を見た。そこで、はっとした。母の髪はつやつやとしていて、目も、前みたいに落ちくぼんでいない。荒れていた肌もなめらかだ。いつの間にこんなに若々しくなったのだろう。今まで気づかなかった。
 たしかに、僕が鳥取から帰ってきた日――あの日から、母は変わりはじめた。酒の量が減り、ちゃんと料理をするようになった。
 あと、母が長谷川クリニックに通っているのも、僕は知っている。ふとしたことがきっかけで診察券を見てしまったのだ。電話でクマ先生にたずねたら、「九月から通院している」とのことだった。
 精神が回復すれば肉体もそれに呼応するものなのだろう、今日の母はきれいだ――僕はなんだかうれしくなって、でも無性に照れくさくて、うつむいた。
 午後の部に入り、客がぞろぞろとやって来た。
 はじめます、と僕は宣言して、映写機を作動させた。大きなスクリーンに映像が映し出された。「となりのトトロ」だ。
 しばらくして外の方からドラムの音がかすかに聞こえはじめた。なんだろう、と僕は顔を上げたけれど、カーテンに遮られて、見ることはできない。みんなも気になっているようだ。
 廊下を何人かの生徒が靴音を立てて走り抜けていった。これから近野先生が歌うんだって、という声が聞こえた。
「これから盛り上がろうぜー」
 マイクを通した近野の声。それに共鳴するかのように女子が歓声を上げる。ジャラーン、とギターの音が鳴り響いた。軽快なイントロが流れ、
「トランジスタ・ラジオ、いくぜ」
 近野が叫ぶ。そして気持ちよさそうに歌い出した。
 たちまち僕の胸に驚きが広がっていった。まさか近野が歌うとは……。
 僕は小さくガッツポーズをした。今のところすべての「ピース」が順調に組み合わさっていっている。なぜなら、「あの日」を再現するためにも、近野の歌は、必要な要素だったから。
 そう、僕は、十七年前の――初瀬惣次と早川愛美の――文化祭と、今日の文化祭をダブらせようとしているのだ。宮崎初美の根底に眠っている魂を呼び起こすために。
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