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タイムマインド(潤一編)(65)

 昼前になると、慶子さんは立ち上がった。昼ご飯の支度をするために帰るそうだ。静子さんと僕は玄関まで見送りに出た。この気まずいまま慶子さんと別れていいのかと思ったが、でも、どうすることもできなかった。
「潤一君」
 慶子さんは靴を履くと僕をまっすぐに見つめた。
「惣次の分も、しっかりと生きてね」
 惣一の名前を出さないのが、痛い。僕は、また鳥取に来ますと言ったが、彼女は、うなずきもせずに玄関の引き戸を開けた。
 もう会うことはないだろうな。僕は心の中で、ひっそりとつぶやいた。
 静子さんに、出前でもとりましょうか、と聞かれた。僕は首を横に振った。食欲がなかったからだ。
 静子さんはそれでも何か食べなきゃと言い、お茶漬けとみそ汁をつくってくれた。
「……初瀬の家を出たうちが言うのもなんだけれど、慶子さんには、兄のことを、惣一のことを許してもらいたいわ。惣一が死を選んだのは間違っていると思う。でも、人を愛することは――間違っていない」
「その気持ち、わかります」
「あなたも、誰かをそれくらい思っているの?」
 僕は、持っていた茶碗をひっくり返しそうになって、慌ててテーブルに置いた。
 図星ね、と静子さんが上品に笑う。
「もしかして……相手は、愛子さんと愛美ちゃんの生まれ変わり?」
「いや、それはまだわからないんです。だから鳥取に来て、真実をたしかめようとしているんです」
「東京に好きな子がいて、その子が、愛子さんと愛美ちゃんの生まれ変わりかどうかを知りたい、ということかしら」
 はい、そういうことです。そう答えてから、僕の頭の中に宮崎初美が浮かび上がってきた。
「宮崎初美という子なんですけど、なんとなく、はじめて会ったときから惹かれているんです」
「なんとなく、とはどういうこと?」
「あまり話もしたことがないから。でも、彼女のことが好きなんだと思います」
「恋なんてそんなものかもしれないわね」
 それから他愛ない会話をつづけながら、彼女の好きな山口百恵のCDを聴かせてもらったりした。静子さんは昔はよく歌っていたし、カラオケボックスに毎日のように通っていた時期もあったそうだが、しかし、最近は思いどおりの歌声が出なくなって悲しいという。
 山口百恵の歌を聴いている静子さんは、うっとりとしていて、まるで子どものようだった。
 ほかにもたくさんの曲を聴いているうちに夕方近くになった。僕はそろそろ鳥取駅に向かうことにした。
 静子さんはメモ帳を破り、電話番号を書いて、それを僕に手渡しながら、
「何かあったら連絡してちょうだい。迷惑かもしれないけど、うち、あなたの今後を知りたいの。惣一と惣次君の生まれ変わりのあなたが、これからどんな恋をして、どんな生き方をするのか興味があるの。でも、あなたにとっては迷惑なだけかもしれないわね」
「そんなことはないですよ」
 僕はケータイを取り出し、自分の電話番号も伝えた。ついでに、翔ちゃんの写真を見せた。勝ちゃんの生まれ変わりである翔ちゃんを見たら、静子さんはどんな反応をするだろうか、気になったからだ。
「見覚えがなくても、何かを感じませんか」
 静子さんは老眼鏡をつけ、それからケータイの画面を見つめた。目を細め、首を何度もひねった。
「……さあ、わからないねぇ。この子がどうかしたの?」
「いえ、なんでもないです」
 僕はケータイをジーンズの尻ポケットに突っ込んだ。生身の翔ちゃんを見ないとわからないのかなと思った。データとして収められた翔ちゃんではなく、生身の翔ちゃんと静子さんを会わせたかったが、今の時点ではどうすることもできない。翔ちゃんを連れてくればよかったかなと、ちょっぴり後悔した。
 何もなくてごめんなさいね。じゃあ、気をつけてね。静子さんは笑顔で、元気よく手を振ってくれた。
 僕はお辞儀をして、スポーツバッグを持ち、家をあとにした。さっぱりとしたお別れだった。


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