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タイムマインド(潤一編)(61)


       十八

 朝食の席で、僕は今日中に東京に帰ると告げた。惣次の両親は、まだいいじゃないかと言ってくれたが、僕は決めていた。二人はいい人だが、やはり僕はここの家族にはなれないし、初瀬惣次の代わりも務まらない。結局のところ僕たちは他人同士なのだ。
 昨夜、激しい頭痛とめまいに見舞われながらも、母のことを考えた。自ら家を出てきたにもかかわらず、今母さんはどうしているだろう? と思う自分がいた。そして――僕はここに長居してはいけない、母さんを一人にさせてはいけない、と思い、マンションに帰ろう、と決めたのだった。
 忠人さんも慶子さんも悲しげな表情をしていた。が、それ以上は引き止めようとしなかった。わかっているのだ、僕は久野潤一であって、初瀬惣次ではないことを。
 僕は気まずさを感じながらも、梅干し入りのおにぎりをほおばった。
「そうか……たった一日しかいっしょに過ごしとらんけど、惣次が帰ってきたようだったわ。君のおかげだ。ありがとうな」
 忠人さんは頭を下げ、僕の返答を待たずに台所を出ていった。口もとには幾重ものしわが寄っていた。しばらくして、玄関の引き戸が開閉する音が聞こえた。
「……あの人、もう果樹園に行ってしまうつもりかしら。よほど、泣くのを我慢できないみたいね」
 慶子さんはうっすらとほほえんだ。
 僕は薄切りのナスが入ったみそ汁に視線を落とした。
 テレビからは気象予報士の淡々とした声が聞こえる。それによると、今夜は台風が来るそうだ。

 僕が帰り支度をしていると、慶子さんが部屋に入ってきた。
「何時のバスで帰るの?」
「夜の九時半のです」
 じゃあ、まだ時間があるわね、と彼女はつぶやくように言ってから、
「あの……会ってもらいたい人がいるの」
「誰ですか?」
 僕は昨日着た服を押し込むと、スポーツバッグのファスナーを閉めた。
「静子おばさん、知ってるよね」
「まだ……生きてらっしゃるんですか?」
 と言った瞬間、僕は、しまったと思った。惣一の妹であり、惣次のおばさんにあたる大竹静子さん──その人がまだ生きているとは思いもしていなかった。
 慶子さんはくすりと笑い、
「もちろん生きていらっしゃるわ。でも、四年前に──七十になったころね──腎臓が悪くなって、周期的に、人工透析で血液の中の老廃物を取り除かなければいけなくなったの。それからというもの、みるみるうちに衰えていって、今じゃあまり家から出なくなっているようなの。だから、惣次の生まれ変わりの潤一君と会えば、少しくらい元気を取り戻してくれるかな、と思って、ね……」
 僕の記憶には華やかで明るい静子さんしかないので、今の彼女を想像することができなかった。
「わかりました、静子さんに会ってみます」
 とにかく静子さんのうちに行ってみるしかない、と僕は思った。


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