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タイムマインド(潤一編)(56)

 どれくらい時間が経っただろう。肌に汗がにじんでいた。そろそろ行こう。僕はスポーツバッグを持ち、立ち上がった。
 のろのろと来た道を下る。途中で、ふとケータイを取り出した。電源を入れ、センターに問い合わせると、メールが五件も来ていた。
『早く電話してくれ!』
 この簡潔な文章は翔ちゃんからだった。五件とも全部同じようなメッセージだった。
 僕は翔ちゃんに電話をかけた。
 数回のコール音のあと、
「潤か! 早く電話してくれって言ったじゃん! 今まで何やってたんだよ?」
 翔ちゃんの怒鳴り声。
「どうしたの?」
 たぶん母のことだろうとわかるのだが、あえて平静を装った。
「何言ってんだよ。潤が出てから、俺、すごく困ったんだぞ。おまえの母ちゃんに叱られるし、たたかれるし……俺、逃げちゃった。でも、そのあとも、うちに電話がかかってきて怖かったんだぞ。親父が間に入ってくれたから、収拾ついたけど」
 母がそこまでヒステリーを起こすなんて信じられなかった。
「おい、聞いてんのか!」
「ああ、ごめん。そんなことがあったなんて……」
「でも、まぁ、いいさ。無事に鳥取に着いたんだろ?」
 うん、と僕は返事をした。
「だったら母ちゃんに電話ぐらいかけろよな。潤を心配しているからこそ、あんなにも敏感になってるんだから」
「違うって。母さんは別に僕のことなんかどうも思ってない。ただいつも神経がささくれているから、ちょっとしたことでも敏感に反応してしまうんだよ」
 翔ちゃんのため息がノイズとなって聞こえた。
「全然わかってねぇな、潤は。おまえの母ちゃんは息子のことが心配なんだよ。ただそれだけなの。だから今すぐに電話してやれって」
 じゃあな、というと、翔ちゃんは電話を切った。
 ──母さんが僕のことを心配している?
 そんなはずはない。僕はすぐに否定した。酒を飲むことにしか興味がないあの母が……。
 潤君には大切なもの、ある? いつだったか、母は僕にそう言った。たしか僕は大切なものなんて別にないと答えた。もしかして母が思う大切なものとは──いや、考えたくなかった。アルコールに溺れている人になんか言われたくないという反発心があった。
 親父が死んでから何一つとして親らしいことをしてくれなかったじゃないか、と僕はつぶやいた。


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