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タイムマインド(潤一編)(53)

 夏休みに入り、僕はある一つの疑問をたしかめるため、鳥取に行く決意を固めた。もしかしたら、宮崎初美は、奥田愛子と早川愛美の生まれ変わりではないか、と思ったからだ。
 そう思うようになったきっかけは――幻の蝶々だった。深夜、ベッドの上でぼうっとテレビを観ていると、何かが視界をよぎった。なんだろうと部屋中を見まわすと、窓際で、黄金色に輝く蝶が舞っていた。美しく羽を動かしていた。見たことのない蝶だった。僕はそれに近寄り、手を伸ばし、捕まえようとするのだが、ひらり、またひらりとかわされてしまうのである。そしてその蝶は次第に輝きを失っていき、フローリングの床に落ちた。僕は目を二、三度しばたたいた。と、そこにいた蝶がいなくなっていた。ほんの一瞬で姿をくらましてしまったのだった。
 僕にはその蝶をはるか昔、見たような記憶があった。そのとき僕の直感が働いた。
 鳥取に行ってみよう――
 僕の知りたいことは初瀬惣一と初瀬惣次の故郷にあると思った。このまま悶々と過ごしていても解決には到らない。不透明な気持ちはいつまで経っても不透明なままだ。体が「行け!」と命令しているようでもあった。
 鳥取に行くなんて母に言えるはずがない。僕は母に黙ってコンビニでバイトをはじめ、自分の力で金をこしらえることにした。僕は二週間働き、親が病気でお金がいるのだと店長に嘘をついて、給料を前借りした。

 その日の夜、僕は明日の出発に備えてスポーツバッグに必需品をつめ込んでいた。そうしていると、突然部屋に母が入ってきた。予期しないできごとだった。酒を飲んでいるらしく母の頬は紅潮していた。
「なんだよ、いきなり入ってくるなよ」
 僕は内心動揺した。
 母は床に散らばった歯ブラシや洋服、寝袋を見てから、
「どこに行こうとしているの?」
 どこだっていいだろ、と僕は即答する。
 母はため息を漏らした。手には一枚の紙片が握られていた。夜行バスの往復チケットだった。
「鳥取県なんかに用があるの?」
 机の引き出しに入れていたのに──僕の部屋をあさったのかと思うと、怒りが込み上げてきた。僕はとっさに立ち上がり、力任せにチケットを奪い取った。
 母は冷徹なまなざしを向けたまま、微動だにしなかった。
「勝手に部屋に入ったのかよ」
「別にいいでしょう。大事な一人息子を心配してのことなんだから。だいたい、アルバイトをはじめたときから怪しいと思ったのよ。バイト先の店長に連絡したら、給料、前借りしたそうじゃない。親が病気だと嘘をついてまで……。何かほしいものがあるのかなと思ったけど、部屋に物が増えているわけでもない。すると、なぜか鳥取行きの券が出てきた。出発は、明日。ねえ、いったいどういうことよ」
 人の部屋を詮索するなんて、最低だな。僕はそう吐き捨てる。
「人って何よ。親が子どもの部屋に入ったらいけないっていうの?」
 母は金切り声を発した。相当酔いがまわっているようだ。
「もしかして……あなたも私の手から放れていくの? お父さんみたいに?」
「何言ってんだよ」
 僕は右手で額を押さえた。頭が痛くなってきたからだ。
「そうでしょう? この家を出ていこう、私から離れようと思っているんでしょう?」
「酔っぱらってないときに、また話、聞くから」
 僕は閉口し、ベッドに──母に背を向けて──寝転んだ。正気とは思えない母が怖かった。
 しばらくの間母は黙っていたが、
「明日はどこにも出させません」
 と言った。部屋のドアの閉まる音がした。
 ……勘弁してよ。僕はひとりごちた。


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