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タイムマインド(潤一編)(50)


       十四

 僕はうっすらと目を開けた。クッションみたいな枕が心地よかった。目の前にはクマ先生のでかい顔があった。どうやら現実に戻ってきたようだ。
 僕は上半身をのろのろと起こし頭が長い眠りから覚めるのを待った。
 コーヒーでもいれようか。クマ先生が言った。僕は無言でうなずいた。
 早川愛美はどうかわからないが――初瀬惣次は死んだ。僕は彼の死に際を体験したのだ。あまりにもとうとつで、あまりにもあっけなかった。僕はそれをどんなふうに受け止めていいのかわからなかった。
 一つだけわかっていることは、僕のバスに対する恐怖観念は、そこからきているということだった。
 クマ先生が裏の方からコップを二つ持ってきて、そのうちの一つを僕に差し出した。僕はコーヒーをすすり、吐息をついた。壁時計を見ると、まだ一時間しか経っていなかった。数ヶ月分の前世を見たからだろう、僕は長い時が経ったような錯覚に陥っている。
「気分はどう?」
 クマ先生は愛嬌たっぷりの顔で言った。
「悪くはないです。なんか、ふしぎな気分です。父が事故にあったときは、前世を振り返る余裕なんてなかったけれど、今はいろいろと考えさせられます」
 僕は自分の気持ちと向き合いながら答えた。
 そしてしばらくの間、僕とクマ先生は前世の内容について話し合った。初瀬惣一と初瀬惣次の人生を語っているうちに、自分の気持ちも整理されていき、今後バスに乗っても怖くないような気がした。クマ先生が言うには――通常の治療法を駆使しても治癒されないトラウマは、過去世を探り、現在と照らし合わせることによって苦痛が減少し、ときには完全に治ってしまうケースもあるのだそうだ。ちなみに、僕は「キー・モーメント・フロー(主要場面想起)」というタイプの思い出し方をしたらしい。
「あの、先生」
 僕はコップに落としていた視線を上げて、
「翔ちゃんが、前世でも、僕と会っていたと言っていました。でも、僕にはソウルメイトというのがわかりません。現世で出会っている人の中には、ソウルメイトがいるかもしれないんですよね?」
 クマ先生は机に肘をついたまま、コーヒーを飲み干した。そしてこちらにやさしいまなざしを向けてきた。
「……人の魂は一つのグループとなっているので、現世でも来世でも、何度も再会します。私たちはほとんど同じ人たちといっしょに輪廻転生を繰り返しているからね。だから、今会っている人の中にも、当然、過去からの知り合いがいる、といえるだろうね」
「その知り合いを知る方法はありませんか?」
「前世を見てわからなかったのなら、あとは直感に頼るしかないと思うよ」
 直感? と、僕は首をかしげた。
 クマ先生は眉毛をぴくっと上げてから、
「前世で深い関係にあった人かどうか、魂に判断させるんだよ。一目惚れとか――わかりやすい例だよね。第一印象で好きだと思ったりした場合、前世では恋人同士だった可能性がある。逆に、嫌いなやつだ、こいつとは合わないなと思った場合は、前世ではライバル同士だったかもしれない。久野君には、この人を前から知っているといった感覚や、気が合うなと感じるとき、ないかい?」
「まあ、あります」
 僕はうつむいた。さきほどから頭の中には宮崎初美の顔が浮かんでいた。僕は彼女との関係性を知りたかった。前世で会っていたかどうか、無性に知りたかったのだ。
 僕は、宮崎とは何かあると思い込んでいる。しかしそれを知る手がかりはなく、いら立ちがつのっていった。
 今日はこれくらいにしておこうか、とクマ先生は立ち上がった。
「ありがとうございました」
 僕はカーテンを引いて通路に出た。
 スツールを一列に並べてベッド代わりにし、その上に翔ちゃんが横たわっていた。かすかにいびきが聞こえる。そんな格好でよく眠れるな、と、僕はあきれた。
 久野君。クマ先生に呼びかけられた。
「はい」
「またここに来てくれるかな? 退行催眠が終わったからといっても、君の、バスへの恐怖観念が完全に消えたかと言えばそうでもない。催眠中に学んだ感情を頭に浸透させ、理解して、現在の状況と統合させる必要があるからね」
 わかりましたと答えて、僕は診療所の扉を開けた。
 雑居ビルから出ると遠くの空がくもりはじめていた。


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