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タイムマインド(潤一編)(37)

 大量のプリントが配られ早くも散開となった。僕は近野先生のところに行こうとしたが、女子たちが彼のまわりに集まってきたので、諦めた。
 僕はふとあたりを見まわした。宮崎初美の姿はどこにもなかった。もう帰ってしまったのだろうか。今から追えば捕まえられるかもしれないが、そこまでして三日前のことを蒸し返す気にもなれない。
 本当はロッベンは賢い犬なんだ、と僕はぶつぶつ言いながら下駄箱に行った。靴の紐がほどけていたので、僕は板張りの床に座って結んだ。生徒たちがドラマやバラエティ番組の話題を言い合いながら去っていく。
 横に靴が置かれた。反射的に顔を上げると、そこには翔ちゃんがいた。僕は、すぐにはリアクションがとれなかった。
 座っているのが僕だと気づかなかったのか、
「よ……よお」
 翔ちゃんはぎくしゃくしていた。
「ひさしぶり」
「ひさしぶり」
 僕も同様の言葉を返した。これでは、別れて数ヶ月後に街角でばったり出くわした、もと恋人同士みたいじゃないか、と思った。
「なんかさぁ」
 翔ちゃんは後頭部をかきながら、
「ひさしぶりに会ったもと恋人同士だよな、この感じ」
 僕は一拍おいてから、噴き出した。
「僕も今そう思った」
 彼も笑った。僕たちは笑い合った。
 こんなものだったんだ、と、僕はほっとした。二度と話せないようないやな感じがつきまとっていたけれど、実際は違った。ちょっとしたきっかけさえつかめればなんてことなかったのだ。
 僕と翔ちゃんは校舎を出ると、三年ぶりに歩調を合わせて歩いた。昼の日差しが、やけにまぶしい。立ち並ぶ常緑樹の影が歩道に落ちていた。
「……翔ちゃん」
 僕は、この機会に謝ってしまおうと決心した。
「ごめんな」
「なんだよ、いきなり」
「親父が死んでからさ、誰とも話したくなくなって。それで、みんなを避けてた。同情されるのがいやだった……」
「わかってるって、今さら言わなくても」
 翔ちゃんは屈託なく笑った。
 僕は押し黙った。
「まあ、こうやって話せるようになったんだし、結果オーライだよな」
 翔ちゃんはズボンのポケットから扇子を取り出した。
 まだ持ってるんだ、それ、と僕は言った。
「おう。なんか、昔から扇子が好きなんだよな。こいつのおかげで将棋の大会でもいい線いったしな」
「扇子と腕前は関係ないじゃん」
「違うんだよなぁ、これが。扇子をぱたぱたさせていると、なんていうか、引き締まるんだよ」
「そんなもんかな」
「そんなもんだよ」
 翔ちゃんは扇子の先で顎をつつきながら、
「つーか、『翔ちゃん』って言われるのは、なんか照れくさいなぁ。今は誰も言わねぇし」
「じゃあ、なんて呼べばいいの?」
「まあ普通に、長谷川とか翔太とかじゃねぇの?」
「うーん……」
 翔ちゃんとの時間の感覚が何年も止まっているままだからか、僕の中では「翔ちゃん」が一番合っていた。
 別れ道に差しかかったけれど、名残惜しかった。しばらく立ち止まって話していたけど、埒があかないと思い、僕は「翔ちゃんちに行っていい?」と聞いた。
「いや、俺んちはだめ。今、おふくろが風邪ひいてるから。潤のうちに行こうぜ」
 僕は慌てて首を振った。
「なんでだよ。ひさしぶりなんだから、いいじゃん」
 翔ちゃんは僕のマンションに向かって歩き出した。


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