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タイムマインド(潤一編)(14)


       三

 今日は午前中に河名から電話があった。勉強を教えてほしいと言われたのだ。僕は少し緊張しながらもいいよと答えた。跳び上がりたいほどうれしかった。実際、一メートルくらい跳び上がっていたかもしれない。
 お父さんは仕事だけど、お母さんは家にいる。クラスメイトがうちに来ると伝えると──女の子だと聞いた瞬間、お母さんの目がキラキラ輝いた。潤君はもてるのねー、とか、ケーキを買ってこなくちゃ、とか言いながら出かけていった。
 マンションの前で待っていると、河名が自転車に乗ってやって来た。河名は白いタンクトップに裾の広いジーンズ、手には缶バッチのついたトートバッグ、という格好だった。橋本に鍛えられたのか、夏休みに入ってから、地味だった河名の印象がずいぶんと変わった。
「ここ、来たことないからわかりづらかった」
 と河名はぎこちなく言った。
「このへんは入り組んでるから」
 と僕もぎこちなく答えた。本当は「どうしていきなり電話してきたの? 橋本とはいっしょじゃないの?」とたずねたかったのだけれど。
 部屋に招待し、この間、翔ちゃんと勉強したように──勉強というよりも彼が勝手に僕のノートを写しただけだったが──丸テーブルをはさんで僕たちは向き合った。
 二人きりの状況に、僕はそわそわしていた。河名も同じだと思う。彼女は橋本と違って頭がいい。それなのに、簡単な問題に悪戦苦闘している。たぶん、気がそれているのだ。
 お母さんがケーキとジュースを持ってくると、河名はテーブルにおでこをぶつけた。お邪魔しています、と、頭を下げたときに。
 いったんプリントを脇にどかし、ケーキを食べることにした。河名は、甘いものには目がないといった様子で、つぎつぎに口の中に運んでいく。僕はあらためて女の子はケーキが好きなんだなと思った。
「あっ、そうだ」
 河名はフォークを持ったまま、バッグから雑誌を取り出した。それは女の子向けのファッション誌だった。
「久野君もやってみて。けっこうおもしろいから」
 僕は開かれたページを見た。「あなたの恋愛観は?」という見出し。「イエス」と「ノー」、ふたとおりの選択肢と、さまざまな質問が用意されている。質問に答えていき、行き着いたところに自分の性格が書かれている──そういう手軽な心理テストのようだ。
 河名はケーキを食べながらも、真剣な目つきで僕を見ていた。僕は苦笑しながら、雑誌の質問に答えていった。イエス、イエス、ノー、イエス……。
 すると、「あなたは、暴走タイプです」という結果が出た。解説を読んでみると、僕は恋に一途で、好きな人ができたら一直線に突き進むタイプらしい。ときにはその子どものような純真さが、悪に変貌することもしばしば、とも書かれていた。河名が笑った。僕はむっとして唇をとがらした。
「近野君って、一途すぎて暴走しちゃうんだ!」
「ほんとに当たってるのかな」
「……当たっててほしいな」
 河名は笑いすぎて目尻に溜まった涙を指でぬぐった。
「暴走タイプの久野君と癒しタイプの私」
「え?」
 僕の声はひっくり返ってしまった。
 河名ははっとした顔つきに変わった。思わず口をすべらせてしまった、そんな感じだった。
 僕は雑誌に目を落としたまま、
「占い、好きなの?」
「……うん」
「あ……あのさ」
 静寂が怖くて、しかたなく、思いつきを口にした。
「じゃあ、ネットで占いのサイト、見てみようか」
 河名はこくりとうなずいた。
 昼食の準備をしているお母さんに断りを入れてから、和室に移動して、パソコンの前に座った。河名は、僕から少し距離を置いて座っている。カチカチとマウスをたたき、お手軽そうな占いサイトに行った。
 姓名判断、やってみる? と聞くと、河名はまたこくりとうなずいた。彼女の頬が赤かった。
 僕は耳たぶが熱かった。ああもう恥ずかしくなっちゃうじゃん、と、内心でぶつぶつ言いながら、画面に「河名愛」と入力した。すぐに彼女の運勢が表示された。着々と成果を上げていく人、と書かれていた。大しておもしろくもない結果だった。
 つぎは僕の名前を入力した。
「……なんだよ、同じような結果じゃん」
 僕は顔をしかめて、河名に同意を求めた。
 しばらく占いのサイトをめぐり歩いていたら、お母さんが入ってきた。
「お昼ご飯できたから、食べてね」
 河名は遠慮したけど、お母さんは退かなかった。
 台所で河名ととなり合わせに座った。お母さんはベランダで洗濯物をかごの中に入れている。気をつかってくれているのだろう。
 河名はふと冷やしうどんをすする手を止め、
「自分の名前の由来って、知ってる?」
「うん、前に、お父さんに聞いたことがある」
 国語の授業か何かで宿題として出されたことがあった。自分の名前がどういう意味でつけられたか親に聞いてきなさい、と。
「『潤』の字には、水分を持つ、とか、つやがあって外見がよく見えるとか、そういう意味があるんだって」
「『潤』っていう字は格好いいよね」
「河名はなんで、『愛』って、つけられたの?」
 言った瞬間、胸に突っかかるものを感じた。愛、と、内心でつぶやいてみた。なぜか体が硬くなった。
「私の名前なんてめずしくもないし、理由も単純だよ」
 彼女は眼鏡の奥にある目を細めさらりと言った。
「みんなに愛される人、愛を分け与えられる人になってほしい、そういう思いでつけたの」
 僕の顔はこわばっていて、ちゃんと笑えているかどうか怪しい。へんな気持ちだった。嫌じゃないけど、へん。
「子どものときはねぇ」
 河名は両手を上に突き出した。
「よく、『みんなの愛よ愛さんよ、この指と~まれ!』って、歌ってたらしいよ、私」
 彼女の声が遠のいていき、僕の意識は知らない世界に入り込む。
 ──愛。
 その名を呼んだ。
 ──愛。
 二年前、崖から海に落ちたとき、気絶して夢を見た。その夢の中で、僕は──本当は僕ではないかもしれないが──恋人と手をつないで山の頂へと向かっていた。
 僕はつぶやく。愛──。
 その先、「愛──」の先に、僕はなんと言おうとしていたのだろう。そのことをとうとつに思い出した。
「久野君、どうかした?」
 僕は我に返った。
「いや、別に……」


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