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タイムマインド(愛美編)(29)


       十

 あれから三日が経った。美化委員である私と近野君は、その日、放課後に校内のゴミ拾いをする番だった。
 私たちは体育館の裏側を見てまわった。ガムやお菓子の包装紙、煙草の吸い殻、わいせつな雑誌などが捨てられていて、この学校の秩序が乱れていることを思い知らされた。私と近野君は手袋をはめ、バケツを持ってゴミを拾っていった。バスケットボールのはずむ音が外にまで響いていた。
 私はゴミ拾いをしながら三日前のことを――とくに母のことを思い返した。
 惣ちゃんのうちとは関わるな、と母は言った。どういう意味かずっと考えたけれど、わからない。もしかすると、静子さんがためらっていることと関係があるのだろうか。静子さんと惣ちゃんのお母さんは、愛子お祖母ちゃんの過去を知っている。それと同様に、私の母も、惣ちゃんのうちのことで何かを知っているようだ。それらが別々の事柄だとは思えない。頑丈な鎖でつながっているような気がする。
 いくら考えたところで解決するはずはない。今日まで静子さんの体調を気にして我慢していたが、もういいだろう、と思った。帰りに静子さんの家に寄ろう。
「早川は、煙草は嫌い?」
 近野君はうっすらと笑って言った。
「え?」
「吸い殻をいやそうに拾っているから」
「そりゃ嫌いだよ。こんなものを吸う人も嫌い」
「でも、香りがいいやつもあるから」
「煙たいし、体に悪いし、いいことなんて一つもないじゃん」
 私は断固否定する。
「もし彼氏が吸ってたら?」
「即刻、別れます」
 きびしいなぁ、と近野君は苦笑いした。
「……もしかして、吸ってるの?」
 私は信じられない思いで聞いてみた。
 近野君はバケツを置いて手袋を取ると、無言で歩み寄ってきた。私は怖くなってあとずさり、背中を体育館の壁にぶつけた。壁を隔てて部活動に専念する生徒たちのかけ声が聞こえる。
「吸ってるよ」
 近野君は私の前まで来て、壁に手を添えた。顔は逆光になっていて、それがかえって彼じゃないように感じられた。まるで別人のようだった。私は身がすくんでしまい、動けなくなった。
 ──何、何?
 吸いすぎると試合中にばてるよ、と私はかろうじて言った。
「どうってことないよ」
 近野君の唇がどんどん迫ってくる。彼の制服に煙草のにおいが染みついているのがわかった。
「ちょっと……やめて」
「俺じゃあ、だめかな」
 心臓が跳び上がり、バケツがコンクリートの上に落ちた。
 近野君は、打って変わって泣き笑いの表情を浮かべた。
「初瀬より俺を好きになってよ」
 顔がぼうっと熱を帯びた。私は視線をそらした。近野君が私のことを気にかけてくれているのは勘づいていた。だからなるべく顔を合わせたくなかったし、話もしたくなかった。まだ美歩との仲も修復できていない。
「なんか……近野君らしくないね」
 私は乾いた唇でそう言った。
「情けないことを言うやつだって思ってるだろ? 俺さぁ、早川のことになるとどうしても弱くなるんだ。好きで好きでたまらないから、弱くなるんだ。痣のことを聞いたときだって、そうだよ。早川を傷つけたかもしれないって思ってしまって、早川が部活に来なくなったのは俺のせいだ、俺は嫌われたんだって、何日も悩んでた」
 私は口をつぐんだ。突然の告白に取り乱しているものの、決して迷っているわけではない。私には惣ちゃんがいる──。
 私は目を伏せたまま、告げた。
「ごめんなさい」
「俺は一生、早川の恋人になれないのかな?」
「ごめん……」
 私は繰り返した。それしか言えなかった。
「早川って、結構頑固なところがあるからな」
 近野君は苦い顔つきで眉のあたりを掻いた。
「俺が執念深く待ってても、だめだよな」
「たぶん、私は惣ちゃんが好きなままだと思う。惣ちゃんが振り向いてくれなくても、ずっと」
 すんなりと言えた。彼だからこそ、純粋に真正面から来てくれた彼だからこそ、私も素直に言えたのだ。
「もし初瀬と結ばれなかったときは、俺たち、片想い同士、なぐさめ合おうな」
「近野君はだいじょうぶだよ。これから好きな人ができると思うし、ファンがいっぱいいるし」
 自然に笑みがこぼれた。
「でも、みんな希薄だよ。心の底から好きになってくれている人って、一人もいないんじゃないかな」
「いるよ」
 私は美歩の顔を思い浮かべた。
「近野君のことを好きで好きで、だけどなかなか近づけなくて、どうしようもなくて、いつも遠くから見ている子が、いるよ。その子の気持ちに気づいてあげて」
 彼は空を仰ぎながら、
「そっか……そんな子もいるんだ」
「普段は明るいんだけどね、近野君のことになると夢中になって、その夢中になっている姿が、はたから見れば希薄に映るんだけど……実は、ものすごく近野君を思っている子なんだ」
 このしあわせ者、と私は彼の肩を小突いた。
 近野君はくつくつと笑った。
「断られたときは、もう関係が壊れちゃうかなって思ってたけど、もとに戻れてよかった。これからも普通に会話してくれよな」
 うん、と私はうなずき、自分の手袋を見つめた。告白の場面に不似合いな物だなと、今さらながらに気づいて、私は笑った。彼が言うように、気まずくならなくて本当によかった。
「あー、緊張した」
 近野君は大げさに伸びをしてゴミ拾いの作業に戻った。
 私は煙草の吸い殻を拾ってバケツに移すと、わくわくした気分で言った。
「ねぇ、煙草を吸ってみてよ」
「嫌いじゃなかったっけ?」
「嫌いだよ。だけど、近野君が吸ってるところを見てみたいの。全然イメージできないんだもん」
 近野君は苦笑して、ズボンのポケットから煙草を取り出した。私の知らない銘柄だった。まあ、煙草の銘柄なんて、お父さんが吸っているセブンスターぐらいしか知らないけど。
 彼は一本、口の端にくわえ、百円ライターで火をつけた。なんだか不良というよりは大人びて見える。
 そうだ、と近野君は紫煙をくゆらせながら、冗談まじりに言った。
「初瀬のやつに、煙草をすすめてみようかな」
「私が許しません。阻止します」
 私は──できているかどうかわからないが──精悍な表情をつくった。
「やっぱり早川は頑固だ」
 近野君はまた笑って言った。
 私は思わず噴き出した。時間がのんびりと流れているように感じられた。




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