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タイムマインド(愛美編)(26)

 委員会は、二学期の方針がなかなか決まらなくて長引いてしまった。私は駆け足で自転車置き場に行き、自転車に乗ると急いで校門を出た。いつもどおり病院を目指した。
 片側二車線の国道沿いを走っていると、向こうに桜ヶ丘中学校の生徒らしき人影が見えた。自転車にまたがったまま立ち止まっている。
 けげんに思いながら近づいていくと、近野君だった。今ごろ部活に出ているだろうなと思い込んでいた私は、突然の彼の姿に驚いた。反射的にブレーキをかけた。
 よっ、と、近野君は片手を軽く上げた。
「部活に行かなくていいの?」
「一日ぐらいどうってことはないよ。だいいち、あまり来ない人には言われたくないね」
 彼は冗談めかした口調で言った。
 私は愛想笑いをした。
「初瀬のところに行く前に、ちょっとだけ、つき合ってよ。病院の面会時間は、八時までだろ」
「でも、私のうち、門限があるから、早く惣次君に届けて帰らないと……」
「残念だな、おいしいコーヒーが飲めるところを知ってるんだけど」
 彼は首をひねった。
「そこの十字路を右に曲がったら、すぐに着くんだ。店内にはジャズがかかっていて、狭いけど洒落ていて──早川もきっと気に入ると思うよ」
「お気に入りの喫茶店があるって、いいよね」
 私は明るく言った。
「私もそういうお店、知ってるんだ。音楽はかかってないし、ミックスジュースは死ぬほどまずいけどね」
 ばいばい、と手を振って、私はすぐさまペダルを漕ぎ出した。
 近野君はどんな顔をしているだろう。でも、これでいい。これ以上美歩を傷つけたくないし、そもそも私は惣ちゃん一筋である。
 病院に行くと自転車置き場で静子さんと出くわした。
 私が自転車の鍵をかけるのに苦戦していると、上品な笑い声が聞こえた。静子さんがそばにいたのだ。麻のベストにブラウンのズボンといった服装はとても彼女に似合っていた。
 静子さんも今来たばかりみたいで、自転車のかごから買い物袋を取り出した。小ぶりのメロンやパックに入った葡萄が透けて見えた。
「鍵、錆びているの?」
「はい……そろそろ買い替えなきゃ」
 私は力ずくで鍵をかけた。
「自転車ってね、ボロボロになるまで使わないと本当の愛着がわかない、うちはそう思っているわ。ガチャガチャ、音が鳴るまで」
「そんなので学校に行くのは恥ずかしいですよ」
 私たちは肩を並べて病院に入っていく。
「漕いでいるとガチャガチャ、音を出す自転車。いいと思わない?」
「まわりの人の目が気になってしょうがないです」
 ふふふ、と、静子さんは笑った。なんだか楽しそうだ。
 近野君との会話に喫茶店が出てきたことを思い出し、私は静子さんを誘ってみた。
「お見舞いのあと、またあの喫茶店に行きません?」
「そうね、いいわよ」
 静子さんと約束を交わして、私は惣ちゃんの病室に行った。
 窓際のカーテンの隙間から顔を出すと、漫画を読んでいた惣ちゃんが笑って迎えてくれた。私は鞄から届け物を取り出し、それを台の上に置いた。そして交換日記を彼に手渡した。
 どれどれ、と、私は惣ちゃんに顔を近づけた。
「顔色、よくなってきてるんじゃない?」
「こんなに近づいて見なくても、わかるだろ」
 惣ちゃんは恥ずかしそうに、しっ、しっ、と手首をしならせた。
「そういえばさ、最近お母さんを見かけないけど、どうかしたの」
「この時間帯は、早川が来てくれるから遠慮してるんだよ」
「遠慮?」
「……まあ」
 とたんに顔が熱くなり、私は目を伏せた。惣ちゃんのお母さんは、気づいている。たぶん惣ちゃんも、私の気持ちに──。
「漫画、増えたね」
 私はどもりながらも懸命に話をつないだ。惣ちゃんは棚に並べられた本を見やった。
「暇だからね。でも、はじめのころは漫画を読む気分になんてなれなかった。音楽を聴きたいとも、テレビを観たいとも思わなかったけど、今はバラエティでもなんでも観るよ」
「よかった」
 私は心から言った。
「読みたい本があったら持って帰ってもいいよ」
「本当?」
 私はよろこんで棚に歩み寄っていった。「スラムダンク」があったら貸してもらおう。
 と、パイプ椅子の脚につまずいてバランスを崩してしまった。そのままベッドに倒れた。
 惣ちゃんの顔が、目の前だった。さっき顔を近づけたときよりも――唇が触れてしまいそうになるくらいの距離だった。彼の吐息が鼻の頭に感じられた。一瞬混乱してから、慌ただしく離れた。
「何やってんだよ」
 惣ちゃんも顔が真っ赤になっていた。
 そのあと私たちはしどろもどろになって、会話はまったくはずまなかった。でも、決して気まずくはなかった。
 三十分ぐらい経って、静子さんがやって来た。惣ちゃんと静子さんは他愛ない挨拶を交わした。
 私たちが出入り口に向かおうとしたら、惣ちゃんに呼び止められた。
「あのさ」
 私は笑顔で、
「何?」
 と聞き返した。
 惣ちゃんは乏しくなった花瓶を見て、言った。
「花……」
 その一言で、彼の言いたいことはわかった。私は、今度持ってくるよ、と言った。




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