FC2ブログ

記事一覧

タイムマインド(愛美編)(16)


       六

 あの対校試合の日、惣ちゃんはゴールポストに背中を強打し、すぐに救急車で運ばれた。医者が下した病名は脊髄損傷――圧迫脱臼骨折によって脊髄が損傷したのだ。脊髄の回復力はきわめて低く、傷を受けると恒久的な障害を残すことが多い。惣ちゃんの下半身は麻痺し、車椅子なしでは移動できなくなった。
 私たち三年六組の生徒は、ようやく担任の先生から惣ちゃんの状態を聞かされた。私が最後に惣ちゃんに会った日から──惣ちゃんのお母さんから惣ちゃんの足のことを聞かされた日から──一週間が経っていた。
 クラスのみんなは視線を机に落としている。ひそひそ話や貧乏揺すりをするような不謹慎なやつは一人もいない。教室中が惣ちゃんのつらさを、悔しさを噛みしめていた。
 先生は話し終わるとパイプ椅子に座った。先生はここ最近でかなり老けた。なんだか蝉の抜け殻みたいだった。
 校内に間延びしたチャイムが鳴り響いた。が、みんな席を立とうとしない。となりの教室から椅子を動かす音や廊下を走る音が聞こえてくる。
「早く部活に行きなさい」
 先生はぼそぼそと言い、しばらくして、
「いや、今日は帰ってもいいぞ」
 みんな重い腰を浮かして帰り支度をする。私も立ち上がり、掃除道具入れに向かった。今日は私と近野君が日直だった。
「愛美」
 美歩が駆け寄ってきて、私が持っているほうきをつかんだ。
「代わろうか、日直」
 私はほほえんで首を横に振った。
 美歩はまばたきをして頭を下げた。そこで私は彼女が涙ぐんでいることに気づいた。
「このごろ愛美が元気なかったのは、そういうことだったんだね。あたし親友なのに、愛美が苦しんでいるのに気づかなくて、よくからかったりして……」
「いいよ」
 私はまた首を振った。
 こんなにも沈んでいる彼女を見るのははじめてだった。美歩もつらいのだなと思ったら、私まで泣きたくなった。いやだな、もう……毎日泣いてばかりだ。
 今日は近野君を一人占めしちゃうけど許してよね、と美歩の肩をたたいた。私は少しだけ上を向いて涙をこらえた。
 先生もみんなも、教室から遠ざかっていく。吹奏楽部の練習がはじまったようだ。打楽器や金管楽器、ピアノの調律が聞こえる。野太い音。甲高い音。曲名は知らないが、パレードとかに使われる聞き慣れたメロディーだ。
「いつまでそこを掃いてるんだよ」
 振り返ると、黒板消しを持った近野君がいた。制服を脱いでカッターシャツの袖をまくり上げている。
 近野君は私の前に来て、ぱんぱんと黒板消し同士をたたいた。チョークの粉が飛び散り、私は咳き込んだ。
「ぼうっとしていたって掃除は進まない」
 彼はそう言って軽く笑った。
「よく笑えるよね、こんなときに」
 私は彼の態度が気にさわった。
 近野君は窓を乗り越えベランダからも黒板消しをはたいた。窓が開いたせいで、吹奏楽部の演奏がいっそう大きく聞こえた。
「こんなとき?」
「惣ちゃ……惣次君の、足のことを、なんとも思ってないの?」
「そりゃ、俺だって悲しいよ。しかも同じサッカー部なんだぜ、ボールを蹴れなくなる悲しみもわかってる。ほかのやつらより何倍も」
「だったら、笑うなんてできない」
「泣けばいいのかよ」
 私の言葉を制して、近野君は声を張り上げた。ちょっと前までは幼いなと感じていた彼の声も、今は低く、男性を思わせる響きに変わっていて、私は内心びっくりした。
「つらい顔をすればいいのかよ。俺は違うと思う。初瀬がもっと苦しくなるだけだと思うんだ」
「どういうこと?」
「俺たちが同情すればするほど、初瀬は学校に来たくなくなる」
「別に同情なんてしてないよ」
「いや、同情だよ。いくら初瀬の苦しみをわかろうと思ったって、結局はわからない。だって俺たちは走れるしサッカーもできる。……怒ったときは人の腹を蹴ったりもできるんだ」
「でも、それでも、惣次君のことをわかろうとしないよりはマシだよ」
「俺は、わかろうとしていないわけじゃない。ただ、同情はしないって言っているだけ」
 近野君はこちらに向き直って、ベランダの手すりにもたれかかった。
「俺は普通にしておきたいんだ。いつでも初瀬の顔を見られるように、いつもどおり話しかけられるようにな」
 彼の言っていることが少しだけ理解できたような気がした。
「みんなが初瀬を不憫な目で見ていたら、あいつは学校に戻って来ないと思うんだ」
 近野君はつづける。
「考えてみたら、そりゃいやだろうな。クラスのみんなどころか、ほかのクラスのやつらまで、不憫な目で見てくるんだぞ。絶対にいやだよ、腹が立つよ」
「でも……普通になんて、できるかな」
 私はぽつりと弱音を吐いた。
「できるさ」
 近野君は軽やかに窓枠を飛び越えると教室に戻ってきた。
「初瀬は俺たちのクラスメイトだ。テストの点数が悪かったら思いっきり笑ってやるし、消しゴムを忘れたら貸してやる」
 私は噴き出してしまった。同時に、うれしくなった。私も、近野君も、惣ちゃんが戻ってくるのを待ってるよ、待ち望んでいるよ、と、心の中でつぶやいた。
「まあ、フェアに戦いたいっていうのも、あるんだけどな」
 近野君は教壇に行って黒板消しを置いた。
「正々堂々と、な」
「サッカーでもするの?」
 言っている意味がわからなかったから、私は聞き返した。
「バカ。初瀬はもう、サッカーできないだろ」
 近野君は顔をしかめた。
「それに、サッカーでは、俺の勝ちだよ。あいつ、下手だもん」
「じゃあ、戦いって何?」
「言わない」
 彼は肩に制服を引っかけ鞄を持ったまま教室を出ていった。
 私は、自分の顔がほころんでいることに気づいた。近野君があんなに格好いいやつだとは思わなかった。美歩が好きになるのもうなずける。
 私はずっと一人で悩んでいた。めそめそ泣いていた。惣ちゃんの足のことを聞かされた日から、惣ちゃんのことばっかり考えて、でも、いくら考えても答えなんて出なくて──堂々めぐりだった。
 だけど今日、私は近野朋泰という頼りになる仲間を見つけた。一人ではなかったのだ。




スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント