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タイムマインド(愛美編)(11)

 ちょうど上がってきたエレベーターから、若い男性が出てきた。私は乗り込み、昇降ボタンを押した。ほかに人はいなかった。
 パネルにはめ込まれた各階の表示が横に点灯していく。
 扉が開き、一階に出た。あら、という調子はずれの声が聞こえた。
「あなた、あの桜のところにいた子よね」
 はっとして視線を向けると、見覚えのあるおばさんが目の前に立っていた。昨日、桜並木で会った、ショートカットのおばさんだった。今日もカシミヤのセーターを着ている。
「偶然ね。お見舞い?」
「あ、はい。同級生が入院しているので」
「そう」
 おばさんはほほえんだ。包み込むようなやさしい表情だった。
「これから帰るところなら、一緒に帰らない? うちも自転車だから」
 私たちは病院を出て、駐輪場へ向かった。日が長くなってきているのだろう、まだまだ太陽の光は衰えていなかった。
 私は自転車に鍵を差し込みながら、おばさんに質問した。
「どこか、悪いところでもあるんですか?」
「いいえ。うちもお見舞いだったの」
「そうなんですか」
「その、同級生の人は、どこが悪いの?」
 私は自転車にまたがって、おばさんの横に並んだ。
「わからないんです」
「どういうこと?」
 二人並んで遊歩道をゆるやかに走る。来たときは向かい風だったが、今は追い風だ。
「その子のお母さんも、担任の先生も、教えてくれないんです」
「余計に心配になるわね」
 おばさんはしっかりと前を見ながら、言った。
「何か言えない事情でもあるのかしら」
 ふいに、さきほどの惣ちゃんの顔が浮かんだ。「ごめん」という声が体内で何度も反響する。私は泣きたくなった。
 やがて桜の並木道に差しかかった。私はまっすぐで、おばさんは右に曲がらなければならない。私は名残惜しいまま、それじゃあ、と言った。
 おばさんはいったん自転車をとめてから、
「うちに来ない?」
 と言った。
 私は意外な言葉に驚きつつも、いいんですか、と声を出した。
「家に帰りたくないでしょ」
「わかります?」
「うん、顔に書いてある」
 私は首を傾けた。
「ものすごく、冴えない顔をしているわよ。こっちまで不安になっちゃうような、そんな雰囲気」
 おばさんはにこやかに笑った。
「だからね、お節介させてよ。このままじゃ、心配でほっとけないから。熱いお茶でも飲みながら話をしましょう。少しぐらい気分がほぐれると思うわ」
 私は、おばさんに甘えることにした。
「はい、実は家に帰りたくないんです。察しがいいですね」
「ただ、老婆心が強いだけよ」
 私は自転車の向きを変えて、ペダルを踏み込んだ。




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