FC2ブログ

記事一覧

タイムマインド(愛美編)(8)

 内容は、愛子さんへの思いがつらつらと書かれていた。思い出のようなのもある。たとえば、花が好きな愛子さんに影響されて自分も花が好きになったこととか、山に咲き乱れた花々を眺めながら歩いたときの気持ちとか、つき合う前はよく愛子さんが店番する雑貨屋に通ったことだとか――名無しの権兵衛さんは思い思いに語っている。読んでいるこちらまでもが赤面してしまうような文章だ。本当にこの人は愛子さんのことが好きだったんだな、と思った。
 でも、「愛子さん」とはお祖母ちゃんのことなのだろうか。タンスに入っていたのだから断定していいと思うが──すると誰がこのノートをお祖母ちゃんに渡したのだろう。一番に考えられるのは、お祖父ちゃんだ。ただ、いつごろかは聞いていないが、お祖母ちゃんは離婚している。
 私が母から聞かされたお祖母ちゃんの話は、そんなに多くない。十九、二十歳のころ島根県の呉服屋のところに嫁入りして、その後離婚して鳥取の実家に帰り、私が生まれる前に死んでしまった、ということだけだ。死因すら聞かされていないし、そもそも母はお祖母ちゃんの話をしてくれない。そのくせ、お祖母ちゃんの嫁入り道具がこの家にあるのはおかしい。
 私は、いい機会だからお母さんに聞いてみようと思い、一階に降りた。ノートはもしかしたら取り上げられるかもしれないので、まだ教えないことにした。
 お母さんは台所でせんべいを食べながらのんきにサスペンスを観ていた。お母さんは大のサスペンス好きだ。十中八九、開始三十分以内で犯人を当てられると豪語するほどだった。
 台所は西側に位置しているので、今の時間帯は薄暗い。テレビの青白い光に照らされたお母さんが振り向く。
「掃除は終わったの?」
「あとから来てみてよ。きっと驚くから」
 お母さんは目だけで笑って、わかったわと言った。
 私はお祖母ちゃんのことをどう切り出そうか困ったが、結局、単刀直入に聞いてみることにした。
「あのさ」
「何?」
「お祖母ちゃんのこと、知りたいんだけど」
「お祖母ちゃんって、私のお母さんのこと?」
 私はうなずく。
 お母さんは一瞬動きをとめてから、
「急に何よ」
「別に。ただ、私って、お祖母ちゃんのことをあまり知らないなって、ふと思ったから」
「いったい何が聞きたいの」
「なんで物置にお祖母ちゃんの嫁入り道具があるのかなって。よく考えてみれば、なんで生まれた家じゃなくて、このうちにあるのか、ふしぎでしょうがない」
「いいじゃない、お祖母ちゃんのものがどこにあろうが」
「よくない。私の気がおさまらないの」
 お母さんはせんべい袋の口を折りたたみ、口の端にしわを作った。
「まったく、おかしなことに興味を持つんだから」
 私は黙って、お母さんが言い出してくれるのを待った。テレビでは犯人らしき人が泣き崩れ身の上話を暴露している。まわりには刑事もいて、いよいよ大詰めのようだ。
「やっぱり、言いたくないわ」
 お母さんはそっぽ向いた。
 私は詰め寄る。
「あの嫁入り道具がなんでこの家にあるかぐらい、話してくれたっていいでしょう」
「私の母の兄──つまり私から見れば伯父さんね。その伯父さんが、母を嫌っていたのよ」
「なんで?」
「まあ……いろいろと事情があるの」
 お母さんは煮え切らない答えを返し、テレビを消した。
「それで、伯父さんは母の嫁入り道具をすべて捨ててしまおうとしていたわけ。私はいくらなんでもあんまりだと思ったから、母の持ち物を引き取ったの」
「もうそのころには、お祖母ちゃんは、その……死んでいたの?」
「伯父さんは、母が亡くなってから腹を立てはじめたのよ」
「どうして!」
「さぁねぇ。よくわからないわ」
 母はすっとぼけた。私はお母さんが何から何まで、愛子お祖母ちゃんのことを──その身のまわりで起きたことを知っていると確信した。一緒に暮らしてきて一番私に近い人なのだ、直感的にわかる。
「教えてよ」
「わからないって言ってるでしょ」
 母はため息交じりに言った。そして冷蔵庫から野菜を取り出しまな板や包丁の用意をしはじめた。もう夕飯をこしらえるつもりらしい。こういうときは、何を言ったってむだだ。母には、追い込まれると知らんぷりをする癖があった。
 私は諦めて二階に戻った。ふたたび愛子さんに向けて綴られた文章に目を通す。その中に、桜並木が出てくる。お祖母ちゃんの実家の近くにあると言ったら、あそこしかない。
 私はいてもたってもいられなくなって、その桜並木を見に行こうと思った。
 自転車に乗ってニュータウンを離れる。ゆるやかな傾斜の国道をすいすい下っていくと、スーパーのはす向かいにたたずむ母の実家が見えてきた。大伯父さんに会ってみようかなと考えたが、すぐに、愛子お祖母ちゃんを嫌っているのならだめだろうと考え直した。
 私は十字路を左に折れ母の実家を通り過ぎた。
 桜並木が見えてきた。コンビナートの工業地帯に沿って、桜の木はひっそりと整列していた。私は自転車から降りて遊歩道に上がった。たくさんの花びらが地面に落ちていた。それもそのはず、桜はもう三分の一は散ってしまっている。私はそれでもここに来たかった。愛子お祖母ちゃんとノートの彼が一緒に歩いたこの場所に、私も触れたかったのだ。
 欄干に腕をのせ身を預けた。目の前には小川を隔てて肉屋が建っている。揚げ立てのコロッケのにおいが漂ってきた。
 昔は、ここらへんは田園だったらしい。ずっとつづく緑、透き通った空気、清らかな小川のせせらぎ……。
 ノートの彼はどのような人物なのだろう。あまり恰好よくない方がいいな。惣ちゃんのような、平凡で目立たない人、だけど、なんとなく気になってしまうような人がいい。
 もの思いから覚めると、少し距離を置いておばさんが立っていた。私と同じように欄干に寄りかかり川面を見下ろしていた。どこか寂しそうな表情だった。髪は耳にかかる程度のショートカットで、西日に照らされてつやつやしている。カシミヤのセーターに黒のズボン。
 私の視線に気づいたのか、おばさんは振り返った。私はどうしようか困ったが、とりあえず会釈した。
 おばさんもゆっくりと頭を下げた。
「桜、散ってしまったわね」
 私は無数の枝を見た。
「……はい」
「桜は好き?」
「はい、今日から」
 おばさんは声を上げて笑った。
「今日から? そう」
 しばらく私たちは桜の木を慈しむように眺めた。西日が少しずつ山の陰に隠れていく。
「あら、もうこんな時間」
 おばさんは慌てて近くにとめてあった自転車にまたがった。
「じゃあ、またどこかで会えるといいわね」
 私は手を振って応えた。おばさんの自転車は──かごに入っている買い物袋が重いのか──ふらふらしていた。
 なんだか風のような人だったなと思いながら、私も自転車に乗った。




スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント