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タイムマインド(愛美編)(5)


       二

 あくる日、一時限目は体育だった。となりの三年五組との対抗リレーをするらしく、ほとんどの生徒が顔をしかめた。私もかけっこは苦手な方だから、あまりよろこばしいことではない。
 リレーの順番を決め、校庭に整列する。体育教師がおもちゃのピストルを鳴らした。一列目の二人が走り出した。私は列の真ん中にいるが、すでに心臓がどきどきしている。プレッシャーにめっぽう弱いのである。
 前列にいる美歩が振り返って、私にさまざまなジェスチャーを送ってくる。私も送り返す。走りたくないよ、とか、いやだな、とか。
 すぐ後ろから笑い声が聞こえた。
「そんなに恐いんだ」
 近野君だった。
「だって私、足がのろいし」
 私は答えた。
「相手のクラスだって早川級の亀はいるし、そんなに変わらないって」
「亀だなんて、ひどい」
 もちろん冗談だとわかっていたので、私はわざとらしく眉根を寄せた。
 近野君は体を大きくのけぞらせ、
「早川が広げた距離は、俺がちゃんと縮めてやるから」
「じゃあ、任せた」
 私も調子に乗って彼の肩をぽんとたたいた。近野君のおかげでいくぶん気がまぎれて身軽になれた。
 いよいよ順番がまわってきた。白線の前に立ち、後方を見る。男の子同士が一進一退の攻防を繰り広げている。近野君がいるんだからだいじょうぶ、と自分に言い聞かせた。
 バトンを受け取り、私は全力で走った。横を見ると陸上部の女子だった。不運を恨みながら目一杯手足を振るが、さすが陸上部、ぐんぐん離されていく。
 校庭を半周し近野君が近づいてきた。私はいち早く渡そうと思ってバトンを前に突き出した。そのとき、額の汗が目に入って反射的に目をつぶってしまった。感覚でバトンを振り下ろしたが、近野君の手には当たらなかった。まぶたをこじ開けると、手を出したまま立ち止まっている近野君がいた。
 一瞬、いやな間ができた。私は慌ててバトンを彼の手に差し出した。近野君は口をゆがめて駆け出した。
 走り終わって休憩している美歩のところに行くと、「こういうこともあるよ」という慰めの言葉をもらった。私は首をガクッと落とした。私が作った距離は巻き返せず、五組が楽々と勝利した。盛り上がらないリレーになってしまったのだ。
 授業が終わるとすぐに近野君に謝った。
「いいよいいよ。たかがリレーなんだし」
 近野君はさわやかに言って話題を変えた。
「そういえば、早川とははじめて同じクラスになるよな。小学校も同じだったのに、俺たちは今まで一度も一緒になったことがなかった」
 私は相槌を打ち、校舎に向かった。彼もついてくる。視界の端に、ちらちらとこっちを見ている美歩が映った。近野君と肩を並べて歩いているのが気にくわないのだろう。
「……火傷」
「え?」
 私は首をかしげて聞き返す。
「その火傷、どうしたのかな、って……」
 近野君は言ったあとで、決まり悪そうにした。
「ごめん、変なこと聞いちゃって」
 ああ、と言って、私は自分の左の太ももを見た。そこには人差し指と親指で円を作ったくらいの、赤い広がりがある。
「これは火傷じゃないの。生まれつきの痣。こんな外側にあるから目立っていやなんだ」
 近野君は首を振った。
「別に俺は、ただ、なんていうか、火傷かなって思って──料理のときとかに油が飛んだりしたのかなって──心配になっただけ」
「心配してくれてありがとう」
 皮肉ではなく、彼の誠実さが伝わってきたからそう言った。
 今はもう痣のことなんか気にしていない。小学生のころはなんでこんな人目につくところにあるんだろうって悩んだけど、悩んで解決するものでもないし、ほかの人だってコンプレックスを抱えていることを知っている。
 近野君は口走ったことをまだ反省しているようだ。私はにこにこ顔で、傷ついていないことをアピールした。
「……早川と話をしたくて、何か言わないとって、焦っていたら……ごめん」
 彼はぼそっとつぶやいた。
 私のにこにこはどこかに飛んでいった。




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