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タイムマインド(愛美編)(3)


       一

 あれから二ヶ月が経った。私は頬杖をついて、はす向かいの惣ちゃんの席を見る。そこに惣ちゃんの姿はない。まだ入院中だと聞かされているだけで、先生は何も言ってくれない。
 せっかく二年連続で同じクラスになれたというのに、せっかく最後の中学生活を楽しもうと思っているのに、惣ちゃんは、髪型も顔つきも背丈も何もかも普通の惣ちゃんは、なぜかここにいない。みんなが同じように授業を受けて同じように給食を食べて同じように笑い合う場所に――惣ちゃんだけが病院にいる。クラスのみんなは平然と過ごしているけど、私にはパズルのピースが欠けているように思える。早く帰ってこいよとぶっきらぼうにつぶやいてみても悲しくなるし、会いたいなと願ってみても空しくなる、そんな毎日を私は送っていた。
 新学期から新しく転任してきた国語教師が、鼻にかかった声で朗読している。男子好みの、色気むんむんの女教師だ。近野君をまどわしたらただじゃおかないから、と美歩は敵視していた。
 私は一番後ろの窓辺の席にいるから、ここから校庭の桜の木を眺めることができる。惣ちゃんがいない今、私は、ちらちら舞い散る桜の観賞だけのために学校に通っているといってもいい。
 ──惣ちゃん、今ごろ何してるのかな。
 急激に涙腺がゆるくなった。惣ちゃんのことを考えるとどうもだめだ。私は確実に惣ちゃんに弱い。惣ちゃんは私の弱点だ。昨日は、こんなにも入院が長引くのはおかしくないかと思い、思ったら最後、一日中不安で不安でしょうがなかった。
「早川さん。早川愛美さん」
 突然、先生の声。
「は?」
「『は?』じゃありません」
「なんのご用でしょうか?」
 教室にどっと笑いが沸き起こった。私は恥ずかしくなってうつむいた。何も考えずに口をすべらしてしまったからだ。
「ぼうっとしてちゃだめよ」
 先生はやさしい口調で私を叱り、
「じゃあ、つづきをお願いね」
 願われても、ぼうっとしていたのだから、どこがつづきなのかさっぱりわからない。私がおろおろしていると、前の席にいる美歩が、教科書をシャープペンシルでたたいた。肩越しにのぞき込んで確認すると、私は「山椒魚」の朗読をはじめた。
 先生の「はい、よろしい」に、私はほっと安堵した。ノートの切れ端に「助け船、センキュー」と書いて美歩に渡す。すぐに「恋する乙女はつらいねぇ」と返ってきた。
 もう恥をかきたくなかったので、午後はちゃんと勉強に集中した。ときどき、惣ちゃんのことが胸のうちを行ったり来たりしたが、どうにかやりすごした。
 そのことを美歩に言うと、彼女はあきれたように、
「そんなに気になるんだったら、直接病院に行ったら?」
 という。
「なんで私が見舞いに来るのか、惣ちゃんが怪しむじゃん」
「じゃあ、授業のプリントとか給食のデザートとかパンを口実にすれば?」
 さすが我が友よ。ホームルームが終わると、さっそく私は担任の先生を捕まえてそのことを告げた。
「プリントを持っていきたい?」
「はい。惣次君も学校のことがわからなくなると、何かと不安だと思うし」
「プリントなら、僕が見舞いに行ったときに届けているからだいじょうぶだよ」
「やっぱり、毎日持っていった方がいいと思うんです」
 うーん、と先生は腕を組んでうなった。
 ここで私の個人的な感情に気づかれてはまずい、と思い、私は慌てて手を振る。
「私、けっこうお節介なんです。惣ちゃ……初瀬君が、学校に来たときに何もわからなかったら困るだろうなって考えると、やっぱり、クラスの仲間としては心配になります。あと、給食もできれば届けたいんです。パンとか牛乳とか。学校の雰囲気を忘れてしまったら、また馴染むのに時間がかかります」
 先生はしばらくの間考え込んでいたが、こめかみを小指でかくと、
「ついてきなさい」
 と言って、私を職員室の前に案内した。
「これからちょっと連絡を取ってみるから、ここで待ってなさい」
「はい」
 近くの本棚に「あすなろ白書」が置かれていたので、暇つぶしにぱらぱらと読んだ。その間、私の背後を数人の生徒が通り過ぎていった。
 ガラッと引き戸が開いて先生が出てきた。眉間にしわを寄せて浮かない顔をしている。
 私は漫画を本棚に戻し、
「どうでした?」
「うん」
 先生は目をしばしばさせた。
「今、自宅に電話したんだがね、初瀬のお母さんとしては、明日からにしてほしいとのことだ。明日病院に来てくれれば、待っているからって」
「直接初瀬君に渡せないんですか?」
「まあ……」
 はっきりしない言い方だ。と、そこにあの色気むんむんの女教師が現れた。
「先生、少しよろしいですか。生徒会のことで相談が」
「ああ、わかりました」
 先生は、助かったと言わんばかりの表情に変わった。
「じゃあ、早川。そういうことだから、明日から頼むわ」
 何がそういうことだから、だ。私は肩を大げさに落とし、深いため息をついた。


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