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冬の坂道(絵・ひがしもとしろう)

冬の坂道(絵・ひがしもとしろう)(1)



 ことばを書いていると、なにもかもが溶けていく、しずんでいく。椅子も。机も。鉛筆も。消しゴムも。ノートも。
 へたな文章だと、天使にわらわれてもいい。
 おなじ曲をくりかえすオルゴールのように毎日、ぼくはきみのおもいでをおもいだす。
   *
 そう、ぼくは日々、ありふれた抒情のみできみに手紙を書いている。届くかどうかわからない、ことばのない手紙――。
   *
――きみの手紙はパントマイムだ。
 きみはわらう。
――そうかもしれないね。
 ぼくはすなおにうなずく。
   *
 ときどき、風にゆれている洗濯物のしろさをまのあたりにすると、きっとこのしろさ、この清潔感こそ死者にふさわしいのだろう、とおもう。いささかくたびれていて、そのくせ、やけに大っぴらで、具体的な洗濯物のしろさ。清潔感。な、きみにぴったりだろう?
 ぼくは、だからわざときみの名前のかわりに、ある種の匿名性をはつおんするのだ。
――のどがいがらっぽい、ふしぎだね。
 きみはつぶやく。
   *
――ぼくは非人称の語り手だから。
 ときみはいう。
――ちがう。
 言下に、ぼくは否定する。
――きみは、ぼくだ。
――いや、きみこそ、ぼくだ。
 きみはいう。やや怒気をふくんだこえで。
――死んだ人間にいわれたくないんだろう?
 と。もっとなにかをいいたそうな、ひきしまった頬だった。
 でも、ぼくたちは、友情というありきたりの呼称ではあまりにもうそっぽくひびいてしまう、このギリギリの関係性において、自己愛らしきものをつむぎあっているだけかもしれない。
 見あげると、カビがはえたような陰鬱な雲のながれ(いまだにきみのことをわすれそびれてしまうのは、それこそ一種の喪失だろう)。なぜかポケットに小鳥の死骸がはいっていた。
   *
 坂道でエコバッグを提げた中年女性とすれちがった。みじかく、するどい悲鳴だった。ふりかえると、その女性はうつぶせにたおれていて、犬のイラストがプリントされたエコバッグのなかからなにやらまるくてちいさいものが、いくつもいくつも、どんどこどんどこ、ころがりでてきた。ぼくはあわててそれを拾いはじめたが――眼球だったのだ。ぼくはあわてて眼球を捨てた。
   *
 その夜、無音の闇のなかをころがりつづけるきみの眼球が一瞬、月明かりに照らされて、ぼくの眼球を直視した。そしてそれは、たとえば長いトンネルのなかから見たまひるの日ざしのようにあかるい、とてもあかるかった。
――いつからここにいたの?
――ずっと。ずっと、まえから。
   *
(きみのかすかな寝息、それはあけがたのぼくのねむりにやさしくひびく。でも、だからこそ、ブルーのインクを吸いあげる万年筆のようにぼくは考えつづけなければならない。しずかなほうへ、うんとふたしかなほうへ。冬のむこうがわへ。またきょうもきのうとおなじところでつまずく――そういいあいながら、ぼくたちは帰り道をいそいだのだ)
   *
――それは胸のいたみをともなうもの?
――おもいではなんであれ、ひとごとのようにいたいたしいものだよ。



冬の坂道(絵・ひがしもとしろう)(2)



 つめたいあけがた。しずかに夜の薄皮がはがれていく。いまこそ、この瞬間こそ、実現しそうにないことが実現してしまうような、そんな気がする。ぼくはひとり、むしゃぶるいというやつをする。これはなかなかしようとおもってできるものではない。むしゃぶるいは魂の指令なのだから、たいせつに感じとらなければならない。
   *
 正午。ぼくは目をつむって考える。きみが早々とこの世界から立ち去ってしまったことを。まるで葡萄のようにたわわに実った沈黙――(ああ、もっとはやく、はやくはやく、ぼくたちの沈黙を食べてくれる犬を育てるべきだ!)。
 きみの死が、たとえきみじしんのものであっても、ぼくはきっとこれからもときどき当惑しつづけるにちがいない。もうすこしだけ待とう。冬の慟哭が遠ざかり、春の雛になるまで。
   *
――さっさと名前なんか捨てて、水辺の窓に帰ろう、ことりたち。
――水辺の窓……そこからなにが見える?
――なにも見えないよ、ことりたち。
 きみは伏し目がちにわらった。
   *
 ここ二、三日、ぼくは家から一歩もでなかった。どこまでもつづくぬかるみこそ、冬だ。生まれたての赤ん坊が痛切に、切実に居場所をもとめるように、ぼくもまた窓の奥、雪のなかへと手をのばしていく。しずかな雪だ。あまりにもしずかすぎて、耳を切断してしまいたくなる。
 ぼくは書く、日付のない日記を。部屋は花園のようにあかるい。カーテンがなにかのメッセージを発信している。すべてはパントマイム。ふりつもる雪のしずけさに鼻のさきがむずがゆい。
 なおもにせものの雪がふる。鳴りやまない静寂のように。眠気が、すこしずつ、すこしずつ、のびやかな蝶の舌にみちびかれていく。ここからいったいなにがはじまるのだろう? ぼくはベッドのうえであおむけになったまま、もう二度とおとずれないであろう性欲のことをおもった。
   *
(一瞬、窓に日がさして、すぐにくらくなった。ぼくはもうすっかり、すこやかにひとりぼっち)
   *
――ぼくはきみのことを一瞬、すこやかに、あまりにもすこやかにわすれてしまったよ。
 きみにうちあけたとたん、心臓がせつなくなった。きみはにっこりとわらって、おめでとう、といった。ぼくもそくざに、ありがとう、といってわらった。
 きみのことをわすれるなんて、はじめてだった。きみがすとんと中心から抜け落ちてしまったのだ。
 深夜二時。台所が遠い。盛大に吐いた。
 病むことは、みずからをいとおしむこと、肯定することだ。雪はまだふってもいないのに、やまない。
   *
 真夜中の真夜中の真夜中、闇よりも深くつめたいきみの影が壁伝いにするすると移動していく気配を聴覚でうけとめながらもぼくはぼくのねむりに解体されているためにほとんどまったく身動きがとれない(ねむりのなかのぼくは〝符合しない仮定〟そのものだ)。
――きみのかおはまるでお墓みたいだ。
――きみのかおもまるでお墓みたいだ。
 そうだ、きょうはきのうよりふたしかなのだ。ひとごとのようにおもう。
――きみは毎日、さなぎとばかり会話している。夢のなかのさなぎ。あるいはさなぎの夢のなかで。まあ、どっちでもいいけど。
 ぼくはやせ細る。きみの幻影とともに。よくねむれるように、夢がこわれないように、ぼくはこわごわと枕のはしをかむ。冬の岸辺をさまようきみのかなしみの亡霊。ほんとに、もう、まったく、愛のかなしいことばかりだ……。
   *
 まち。はいいろのかお。はいいろの雑音。ひとびとは目で「やあやあ」といいあいながらすれちがう。何十回も何百回も損なわれることのない出会いをくりかえす。「幸福」なんていうつまらない口実はやめよう、ときみは口ずさむ。きみは正直だね、とぼくはいう。それからぼくはきみの耳に息をふきかけるが、きみの耳はからの容器のように硬い。
――曲がり角を、なんども右に折れ左に折れ、ときどき雨にうたれながらも、それでもなお、十二月について語ろうとおもうんだ。
――いいんじゃない、おもいたければおもって。でも、ぼくをまきぞえにはしないでくれ。ぼくもきみをまきぞえにはしたくない。
 雨あがりのひとけのない坂道。きみのひたいが空のありかをさがしもとめている。いつの日かきみのひたいの聡明さを、最後のピースとしてぼくの柩におさめたい。あとは、そう、しろい風、しろい風を待つだけだ。
――……きらいじゃない、っていうのは、ぼくたちにとって基調となる色彩のようなものなんだね。



冬の坂道(絵・ひがしもとしろう)(3)




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