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タイムマインド(惣一編)(13)

 惣一……。誰かが呼んでいる。
 惣一。惣一。声が少しずつ鮮明に響いてくる。
「おい、惣一。起きろや」
 目を開けると、そこには勝ちゃんがいた。
 ぼんやりとあたりを見渡す。平凡な田園風景が広がっている。日差しに、山が、雲が美しく照らされている。それらは思わず目を細めてしまうほどまぶしい。僕は桜の木にもたれかかっていた。ずいぶんと眠っていたのだろう、体の節々が痛い。
 でも、いつ眠ったのだろう? あの、自分に似た幽霊を見たところだろうか?
 さきほどの夢は、いったいなんだったのか。僕は、知らない少女の首を絞めていた。そして、その少女に愛子さんを重ね合わせていた。
 もう少しじっくりと考えてみたかったが、勝ちゃんの声にさえぎられてしまった。彼は僕の横で胡座をかきながら、言った。
「それで、どうなっただ。愛子さんと、ケリはついただか?」
 僕は、そんなことよりも勝ちゃんの左頬が青く腫れているのにびっくりした。
「ここ、青くなっとるで! どうしただいや?」
「いやあ、こんなもん、どうでもええがな」
「よくないっちゃ。もしかして、奥田のバカタレに捕まったんか?」
「情けないことに、溝にはまってしまってな」
 勝ちゃんは頭の刈り上げをかきながら陽気に笑った。僕は素直に謝った。
「すまんかった……僕のせいで」
「ええっちゃ、ええっちゃ。気にすんな。愛子さんとどうなったか、早う教えてくれ」
「それがな……」
 体を張って協力してくれた勝ちゃんには申し訳ないが、呉服屋のせがれに邪魔された、と告げた。作戦は失敗に終わった、と。
 勝ちゃんは腕を組んで、下唇を突き出した。
「残念だったなぁ。もう、手はないで」
「ええけ。愛子さんを一目見られただけで満足だっちゃ」
 僕は努めて明るく言い、話題を変えた。
「それより、あれにはびっくりしたで。勝ちゃんが、法被に大量の菓子を入れて逃げるのには」
 浅黒い顔から大きな前歯がのぞいた。
「おもろかっただろ」
「なにがおもろいだいや。無謀っちゅうもんだわ。なんも聞いとらんこっちは、冷や汗たらたら、だったわ」
 僕たちは冗談を言い合いひとしきり笑った。風が強まり、舞う桜の花びらが多くなった。何日かたてば新緑が生まれることだろう。
 勝ちゃんは花びらを手のひらに載せて、
「静子も、おまえのことを心配しとったけぇなぁ」
 しみじみと言った。
「ああ、あいつはやさしい心根をしとるけぇ」
「昨日、俺んちに来たことは、知っとるか」
「昨日? 静子と会ったんかいな」
「昼飯を食っとったら静子が来てな、お兄ちゃんが心配だと言うんじゃ。えらい深刻な顔だったな。俺はてっきり、おまえが事故にでも遭うたんかと思ってしまったわい」
 昨日静子が家を飛び出していったときのことを思い起こした。悪いことをしたな、と僕は心の中で妹に謝った。
「まあ、そんなこんなでな、俺もおまえと愛子さんのことが気になって、酒を持っていったっちゅうわけじゃ」
「……ありがとうな」
 意外な言葉を聞いたかのように勝ちゃんは瞠目した。
「よせやい。そんな言葉を聞きたいためにやったんじゃねぇしよ」
「静子と勝ちゃんには、たくさん助けられたな」
「気にすんな」
「ああ、勝ちゃんも何か困ったときは言ってくれぇよ。僕にできることならなんでもするけぇ」
「わかった、わかった」
「たとえば、いつでも静子と会わせたる。二人っきりにでもしたるで」
「な、何を言っとるだいや」
「だけぇ、たとえばの話じゃ」
「ああ、そうかそうか。たとえば、か」
 勝ちゃんは目を左右に泳がせながら、両手の指をもじもじさせている。わかりやすい反応に、僕は噴き出してしまった。
「何がおかしいだいや」
「いや、すまん」
 愛子さんの存在を消すために、僕は大いに笑った。足もとには出かけるときに持ってきた傘がある。それを彼女に渡せなかったことが、心残りだ。
「おーい、お兄ちゃん!」
 遠くから静子の声がした。勝ちゃんが驚いて、首をきょろきょろ振る。
 静子は、愛子さんの家の近くで手を振っていた。あんなところで何をしているのだろうと思っていると──愛子さんが家から出てきた。水玉模様のワンピースを着ている。まぎれもなく、彼女だった。




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