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タイムマインド(惣一編)(12)


       五

 桜の木の根方に腰を下ろすと、幹に体を預け、田んぼのずっと向こうにある、僕の村を見た。小高い山に囲まれた小さな村だ。明日から村と果樹園を往復するだけの味気ない日々がはじまり、いずれ愛子さんを忘れていくのだろうか。そう思うと、水面の波紋が消えていくような空しさを覚える。やみくもに腕を振りまわし抗おうとしても所詮、自分のちっぽけな力ではたかがしれている。
 上空では一羽のトンビが大きく弧を描きながら飛んでいる。子どもたちはどこに行ってしまったのか、もう見当たらない。そよ風が心地よく、菜の花がうれしそうに首を振っている。
 もう、終わったのだ。
 そうつぶやくなり、目の前に砂嵐が起こった。つづいて頭が圧迫される。激しい眩暈もやって来た。
 僕は歯をくいしばり、両手で割れてしまいそうな頭を押さえた。蝉の鳴き声のような耳鳴りがする。背中が冷たくなって肌が粟立つ。額にはいやな汗がにじんでいる。
 ふいに――眩暈がおさまった。かえって奇妙なくらいおだやかになった。僕は頭から手を放して、顔を上げた。
 すると、一区画先の畦道に、青年が一人たたずんでいる。いったいどこから現れたのだろう。幽霊だろうか、と怪しんで目を凝らすが、青年の足もとは雑草に隠れていて、わからない。足はあるのだろうが、それにしても、浮いているような印象だ。
 顔は?
 僕は目をこすり、もう一度よく見た。青年の顔は、まぎれもなく、僕だった。遠くにいるので正確にはわからない。が、髪型から顔のかたちまでそっくりだ。格子柄の服に、紺色のズボン。このへんでは見かけない格好をしている。
 青年は依然として微笑を浮かべている。その場から一歩も動いていないが、こちらに迫ってくるようだった。
 僕に似た青年が近づいてくる──いや、これは僕が、僕の方が青年に吸い込まれているのかもしれない。手足はなかなか動いてくれず、首だけが小刻みにふるえる。
 どんどんどんどん青年が間近に──僕はあまりの怖さに目をつむった。
 その瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。
 ――人の気も知らないで、よく平気でそんなことを言えるよな!
 とうとつに聞き覚えのある声が聞こえた。僕の怒鳴り声だった。
 はっとして、僕は目を開けた。するとそこには、セーラー服を着た少女がいた。静子が通っている学校の子とは違うようだ。どういうわけか、机の上に倒れ込んでいて、顔をゆがませている。
 と同時に、僕はおそろしいことに気づいた。僕が、その少女の首を絞めていることに。
 また眩暈が襲ってきた。吐き気もする。視界が揺らぎ周囲の輪郭が幾重にも重なる。なにをしているんだ! と自分に問うが、答えはわからない。目の前で起こっていることが理解できない。
 あたりは明かりに満ちているが、視界がぼやけているせいで、まったくと言っていいほど何も見えない。室内のようだが、それにしては広々としている。なぜか椅子が散乱している。雨が窓をたたく音もしている。聴いたことのない音楽も流れていた。ココハドコダ?
 それよりも早く少女の首から手を放さなければ、と思い至り、僕は必死に手の力をゆるめようとする。が、意に反して、手は動かない。むしろますます指が少女の首にくい込んでいく。体内から汗がぶわっと噴き出てくる。どうすればいい? 思考がうまく働かない。
 少女は苦痛を訴えながらも、鋭いまなざしでこちらを睨みつけている。僕は心の中で、わかってくれ、わかってくれよ、と懇願している。
 視界の片隅を何かがよぎった。
 上目遣いに見ると、そこには、蝶々が飛んでいた。黄金色の光を身にまとっている。
 ああ、と、思った。ああ、また会ったな、と。黄金色のそれを、僕は知っていた。空山の頂で、愛子さんと日の出を眺めていたときに見たのだ。きらきら輝く蝶なんてはじめて見たものだから、よく憶えている。
 頭も胸もずきずきするというのに、ふしぎとおだやかな気分になれた。
 蝶は虚空をさまよっている。その不規則な動きを、僕は目で追いかける。
 そのとき、突然少女が起き上がった。いつの間にか首を絞めていた手がゆるんでいたらしい。
 少女は部屋を出ていく。
 ――ちょっと待てよ!
 僕は叫び、慌ててあとを追う。
 暗く長い通路を走る。少女が突き当たりを右に折れるのがわかった。
 行かないでくれ、と、僕は内心でつぶやいた。頼むから行かないでくれよ、愛子さん……。
 僕は暗がりを駆け抜けながら、愛子さん、愛子さん、と呼んでいた。
 ──愛子さん、置いていかないでくれ!
 走っても走っても、一向に突き当たりにたどり着けない。頭がぼんやりとしていて、今にも倒れてしまいそうだ。僕は歯をくいしばり手足を振りつづけた。走るのをやめたら、もう二度と愛子さんと会えなくなるような気がしていたからだ。
 前方の暗闇に愛子さんの姿が見える。顔に微笑を張りつかせている。どうやら僕を待っていてくれているみたいだった。
 ──愛子さん!
 あとちょっとで届きそうだ。彼女に追いつき、その肩に手をかけた。
 ──愛子さん!
 眩暈がおさまった。そして彼女は消えていた。あまりにもあっけなく。闇の世界がゆがむ。僕の体もぐにゃっとゆがみ、でたらめに引き伸ばされていく。足がどろどろした液体のように流れはじめる。叫ぼうとしたが、声が出ない。愛子さんを探そうとまわりを見まわすが、しかし何もかもがあやふやになっていった。
 心には、彼女をつかまえられなかった後悔だけが、寂しく残っていた。


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