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十一月(「アレクセイ・カラマーゾフの亡霊」)


GOING STEADY PV/若者たち



数日前からアレクセイ・カラマーゾフの亡霊に憑かれている。彼はしきりに「父親をやったのはわたしだ」という。

   *

生きている、ひとがたくさんいるまちかどで一匹、死んでいる。それを人影がじっと見つめている(もうすでに冬のまなざしだ)。ジーンズのポケットにはいつかの虹のかけらがのこっている。のどが木乃伊のようにいがらっぽい。

(お守りのなかにひそませた一錠のカプセル……いいたかったことやいえなかったこと……ありがとうとかごめんなさいとか……)

どのまちにも淵と縁がある。そのことに気づいてからというもの――なかば自己増殖的に――流離への憧憬がうずく。蜻蛉がとまった物干し竿さえ、蜻蛉が飛びたつまで動かせずにいるというのに。太占の骨や鏡の破片……まひるまをおよぐ海月のここちよさ。週末のまぶたにのこる浅い呼気。全景の軸。ただいたずらに、ゆらめく波間に浮かぶ無数の問いを生きるしかないのだろうか。ふとふりかえる。ぼくが去ったあともぼくの影はそこにある。噴水の水に与える動詞を問われれば、まちがいなく「咲く」だろう。

(もし飛べない鳥がいるのであれば、泳げない魚がいてもいい、とおもった。人間には、できないことさえも、できないのだから)

地球のほんとうのかたちは洋梨ではないか。ひとがひとにこだわりすぎているように、かたちもまた、マルにたよりすぎているような、そんな気がする。もっと不格好で無秩序なものであってもいい。

   *

みずたまりをのぞけば月が月におぼれている。すべてのものがじっと、なにかにたえているかのようだ。
――毛を刈ると月になるので羊だとわからない羊が月羊です。
そういって、アレクセイ・カラマーゾフの亡霊はせせらわらう。



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