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タイムマインド(惣一編)(11)

 上空から見下ろせば亀の甲羅のように田んぼが並んでいることだろう。僕と勝ちゃんはその亀裂の上を歩いて愛子さんのうちに向かった。
 五人の子どもが田んぼの中を走りまわっている。勝ちゃんが笑いながら注意すると、子どもたちは「わー」と喚声を上げて畦道に戻っていった。僕も、幼いころおたまじゃくしを捕まえに水田に入り、大人によく叱られたものだ。
 桜並木に差しかかると勝ちゃんは、
「ここらへんの木の陰に隠れて待っとけぇや。俺が愛子さんの親を連れ出したる。おまえはそのあとでゆっくりと愛子さんと話せばええ」
 そう言い残して足早に行ってしまった。
 僕は言われたとおり桜の木の陰に身を隠し、線路の先にある家を眺めた。法被姿の勝ちゃんが扇子をあおぎながら入っていく。親を連れ出す、といってもいったいどうするのだろう。強行に走らなければいいのだが……。僕は内心はらはらした。
 しばらくして、
「泥棒!」
 と悲鳴が聞こえた。これは愛子さんの母親の声だ。つぎに勝ちゃんが勢いよく店から飛び出してきた。脱いだ法被を胸に抱えて逃げていく。
 愛子さんの母親は軒先で立ち止まり、勝ちゃんの背中と家の方を交互に見ている。
「あなた、あなた早くぅ!」
「おい、どこのどいつだ! 盗人めは」
「あの、大竹さんのうちの息子さんですよ」
「あのやんちゃなガキか」
 奥田のバカタレが出てきて、二人とも勝ちゃんを追いかけていった。こんなことを言っては失礼だが、なんだか喜劇を見ているようで、僕は呆気にとられてしまった。
 はっと我に返り、急いで愛子さんの家に向かった。思ったとおり、五、六個、あめ玉やせんべいが道端に落ちている。僕はぴしゃりと額を打ち、天を仰いだ。勝ちゃんの作戦とは、万引きで両親をおびき寄せるということだったのだ。よくよく考えてみれば、あの勝ちゃんに知恵などあるはずがなかった。見事に不安が的中してしまい、僕はため息をついた。愛子さんの両親を連れ出すには成功したものの、あと始末を考えれば余計ややこしくなるに決まっている。
 しかし、今さら後悔している場合ではなかった。せっかく勝ちゃんが我が身を犠牲にして両親を引きつけてくれているのだ、ここで愛子さんに会わないわけにはいかない。
 僕は意を決して店内に入った。
 ごめんください、と声をかける前に、廊下の奥から呉服屋が慌てた様子で出てきた。まだ島根に帰っていなかったのか、と僕は舌打ちをした。向こうも、僕を見るなり顔をしかめた。
 が、呉服屋は着物の襟を正すと、言った。
「なぜ、ここに?」
「……いや、それは」
 ほかに言いようがなく、口を濁す。
「お引き取りください。もし愛子さんに会いに来たとしても無駄ですよ。もうあなたとは会わないそうです」
 僕は突っ立ったまま、どうすることもできなかった。子どものようだなと思い、同時に自分が情けなくなった。土間のひび割れた部分をじっと見つめた。呉服屋は上り框に立っている。たぶんきっと勝ち誇ったように見下しているのだろう。
「ったく。まさか、万引きの直後にあなたと会うとは……」
 呉服屋は鼻息を荒らげていたが、ふと真顔に戻り、首をひねって僕を見た。
「もしかして、あなたが仕組んだことですか?」
 勘の鋭いやつだ。僕は目をそらした。それが答えになってしまったようだ。呉服屋は、やはり、と静かに言い、あなたは最低な人だ、と怒気をはらんだ声を出した。
「あなたはさきほどの泥棒──いや、たぶん知り合いでしょう──その人に愛子さんのご両親を引きつけてもらい、その間に愛子さんと会うつもりだったのではないですか? 違いますか?」
 僕が黙っていると、呉服屋は得意そうに、やっぱり、と言って指を鳴らした。言動もそうだが、ポマードで整えられた髪も癇にさわる。
「昨夜、愛子さんのお父さんと酒を交わしました。私は酒が苦手なものですから、吐きっぱなしでしたよ。えらくて、ずっと寝ていました。今も気分がすぐれません。だからこれ以上、逆撫でしないでほしいんです」
 僕は拳を握りしめて我慢した。呉服屋に対する怒りがおさまらない。だが、このまま大人しく立ち去るのが賢明だろう。
 踵を返しかけたそのとき、呉服屋が、
「百姓の分際で」
 と吐き捨てた。
 腹に溜まっていた怒りがうねり、僕は顔を上げた。こいつを殴らなければ気がすまない。
 しかし、彼の肩越しに愛子さんが立っているのが見え、意表をつかれた僕は、呉服屋に抱いていた感情さえも忘れてしまった。物陰にひそんで聞いていたのだろうか。愛子さんは、これまで見たことのない、痛々しい表情をしている。
 呉服屋は僕の顔をふしぎそうに見てから、ゆっくりと後ろを振り返った。そして、にやりと笑った。
「これはこれは、すべて聞かれてしまったようだ。私としては、愛子さんが幻滅しないうちに、初瀬さんにお引き取り願いたかったのですが、しかたありませんね。愛子さん、私も信じがたいのですが、初瀬惣一さんは知り合いを焚きつけて万引きさせたんです」
 愛子さんは一歩前に出て、深く頭を下げた。
「……お引き取りください」
 一瞬、耳を疑った。彼女ならば、僕がここまでして会いにきた理由をわかってくれると思っていた。むしろ愛子さんもそういう気持ちだと思っていた。なぜなんだ! と心の中で叫んだ。僕は上り框に片足を載せ、傘を持ったまま、彼女の両腕を強引に揺さぶった。
「今すぐ身支度しろ! 一緒に遠い町に行こうや! 僕がしあわせにしたる! こんなやつのところに無理して行く必要も、親の言いなりになる必要もないだけぇ!」
 僕は、気づけば静子に言われたことを言っていた。
「駆け落ちしよう!」
 そうだ、愛子さんと一からはじめよう。こんな呉服屋や奥田のバカタレがいないところ、邪魔者が手出しできないところに行って平穏に暮らそう。
 愛子さんは眉をゆがめ、唇をきゅっと結んだ。
 彼女の苦しさが伝わってきて、僕は胸を締めつけられた。僕だってどうにもならないことぐらい、わかっている。自分が言っていることが淡い幻想だということぐらい……だけど、言わずにはいられなかった。
 なにをやっているんだ! と、呉服屋が割り込んできて僕をはがいじめにした。愛子さんの腕をつかんでいた手が虚空をかきむしるように放れ、僕は無我夢中でもがいた。
 愛子……愛子さん!
 涙が視界に膜を張った。その膜の外側にいる愛子さんが両手で顔を覆っている。
 僕は呉服屋に引きずられ、軒先に突き飛ばされた。後頭部をしたたかに打ち、目の前に銀粉がちらつく。引き戸が閉められ、がたがたと心張り棒のかかる音がした。その音は、愛子さんと僕をつなぎ止めていた場所に、仕切りを取りつけるような響きだった。
 僕はすすり泣きながら何度も拳を地面にたたきつけた。
 なんであんなやつのところへ行ってしまうんだ! なんで僕を選んでくれないんだ!
 地面に散らばった、見えない破片をたたき割るかのように、右手に血がにじみはじめてもなお、やめなかった。やめられなかった。




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