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十一月


Mozart - Concerto pour piano n°23 - Menahem Pressler



今朝もまた、窓をさっとかすめていく鳥、いつもの鳥――。
いつかの鳥のさえずりをさぐりあてようとでもしているのか。つぎはぎだらけのさえずりだ、なつかしいものにむかってはばたきをはばたく真似は、もういいだろう。
ひかりの鳥かごのなかでうずくまっているだれか。

   *

むかしからひっそりと息をしているひとが好きだった。教室のかたすみにいるひと、休憩時間は決まって図書室ですごすひと。目立つこともなく、まわりからちょっかいをだされることもなく、じぶんの息づかいをそのまま保っているひと。ひとクラスにひとりはそういったひとがいた気がするが、ぼくはどうしても声をかけることができなかった。いちどでも声をかけてしまうとなにかがくるってしまうのだと、おもっていた。
じぶんもいつかそういうひとになりたいとおもってもいたが、いまはどうだろう、相当でしゃばっている気がする。書けば書くほどじぶんがじぶんでなくなっていっている気がする。無理をしているわけではない。息苦しいわけでもない。しかし、子どものころにあこがれていたようなひと、ひっそりと息をしているひととはほど遠い。半分、仮死しているような、そんな気がするのだ。
じぶんで、じぶんにあった息をすることは、じぶんがじぶんであることが、この人生にとってもっともよろこばしいことであると、そんなふうにおもえるからこその、息や息づかいではないか。
そういった意味ではぼくはほとんど息をしていない。どうにもこうにも息のしかたがわからない。
たぶんきっと、息をする、というのは、ひとの気持ちを汲むことにも似ているのだろう。ひとりよがりに息をするだけではだめなのだ、まわりのひとたちとの距離感もつかめていなければならないのだ。
息をすることさえも、なかなかむつかしいことだが、それでも息をしなければ生きてはいけない。

   *

みずいろの風のあわいを飛びかう小鳥たちの愛らしさ、すこやかさに、どうしてぼくの胸は高ぶらないのか。いつしかさえずりのとだえてしまった柿の木の枝に、ぼくの首がぶらさがっている。




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