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タイムマインド(惣一編)(3)


       一

 早起きのニワトリがせわしなく鳴いている。まるで「起きろー、起きろー」と催促しているかのようだ。他人様のものならまだしも、我が家の愛くるしいニワトリたちが言っているのだ、悪態をつくわけにもいかない。僕は寝ぼけまなこをこすりながら野良着に着替え、牛小屋に行った。こちらは殊勝なもので滅多に鳴かない。朝っぱらからあの間が抜けた声を聞くと仕事の意欲がそがれるので助かる。牛一頭とニワトリたちに飼料を与えると、油を差していないせいかガチャガチャきしむ自転車をこいで、果樹園へ向かった。
 昨日の愛子さんの言葉を思い返してみる。僕たちの関係を「点」ではなく、「線」だと言ってくれた。線は永遠につながっているものだ。自然と頬がゆるむ。
 分厚い雲がどんよりとたれ込めていて、細かい雨が降っていた。どうやら日の出は拝めそうにない。この村の人たちはすでに畑に出て野菜を採っている。そこを通りかかるたびに声をかけられ、僕も返事を返した。
 山のふもとに位置する果樹園に着くと、父が慣れた手つきで作業をしていた。僕と同様の、ひさしの大きな作業帽子をかぶって、テキライ──梨の木の主枝や亜主枝先端の腋花芽、子持花をもぎる作業──をする姿には、憧れを覚える。僕は妙にうれしくなり、同時に、父に対して照れくささを感じて、少し距離をおいて仕事に取りかかった。
 ここは谷間のような地形だが、なだらかな勾配のおかげで歩きやすい。父はときどき「うちはいい土地に恵まれとるわ。作業するのがちっとも苦にならん」とつぶやくことがあるが、僕も同感だった。梨の木の背は低く、歩く際には腰をかがめなければならない。これで足場が悪ければ、無意味に体に負担がかかってしまう。父が言ってくれるまでは考えもしなかったことだ。
「おい、そっちから向こうには入るなよ。奥田のバカタレが、どこで見とるかわからんけぇな」
 雑木林の近くにいる父が胴間声を張り上げた。山に反響しなくても、耳をつくほどの大声だった。
「ああ、わかっとる」
 答えながら、僕はとなりの果樹園を見やった。父が言う「奥田のバカタレ」とは、そこの地主──僕と付き合っている奥田愛子さんの、父親のことだ。
 僕の父と愛子さんの父親の仲は、五年前から急激に悪くなった。それまでは同じ農家として意見を交わし合う間柄だったのだが、どちらからともなく「わしの果樹園の木を切りおって!」だの「無断でこっちの土地に入ってくるな!」だの言い出して、互いを牽制しはじめたのがきっかけだった。一時期は、相手との土地の境に石を置いたり杭に印をつけて主張したりと、あからさまに敵対心をむき出しにしていた。偏屈者同士の土地争いは複雑な問題だが、僕にはどうも「さるかに合戦」に見えてしかたがない。
 その合戦を繰り広げているうちの一匹――僕の父が、
「この雨脚じゃあ仕事ができん。きりのいいところで引き上げるぞ」
 と言った。
 仕事をあらましすませると、僕は大きく伸びをした。関節の節々がぽきぽきと音を立てた。深呼吸をして遠方を見渡した。点在する民家、朝飯を食べに帰る村人──農地のさらに向こうは、雨でかすんでいる。
 鳥取県は日本海沿いに位置している、小さな県だ。当たり前といえば当たり前なのだが僕はこの町並みが好きで、眺めていると気持ちが安らぐ。季節を感じさせる山々の息づかい、人家や村落そのもののにおい、透き通った空気、生きものの生命力、町と人が織りなす気配が体に染み込んでくる。
 自然をたっぷりと味わってから家に帰ると、風呂場で四つ年下の妹が洗濯をしていた。衣類を洗濯板にこすりつけながら歌を口ずさんでいる。
「着替えるけぇ、ちょっとあっち行っとけぇや」
「そこの風呂釜に入って着替えたらいいが。人の邪魔、せんでぇや」
 妹は僕の言葉を一蹴して、知らん顔で洗濯をつづける。妹の名は静子というのだが、「静」の文字をどこにも感じさせない、勝ち気な性格だ。
 しようがなく、僕は据え風呂の釜の中に入って濡れた野良着を脱いだ。後ろから静子の歌声が聞こえる。
 向こ~う横町の煙草屋の、か~わいい看板、む~す~め~。と~しは十八、番茶の出~花、愛しいじゃな~い~か~。ぼ~くが煙草を、買いに行きゃあ……。
 静子は歌が好きでいつも歌っている。ラジオから流れてくる歌謡曲を真似て歌うぐらいだが、歌に興味がない僕が聴いても、うまいと思う。聴く者を楽しませる声質をしているのだ。
 ポロシャツとズボンに着替え土間の炊事場に行くと、母がせわしなく立ちまわっていた。
「ほら、惣一も手伝ってぇな。お母ちゃん、てんてこまいだわ」
 本当に「てんてこまい」という言葉が合っているので僕が苦笑すると、母も照れたように笑った。
 朝食の支度が整うと、ちょうど静子もセーラー服に着替えてきて、家族四人で一つの円卓を囲んで食事を摂る。みそ汁をすする音やバリバリと漬けものを咀嚼する音が、雨音に負けず劣らずよく響く。
 寂しい食事風景だと、僕はいつも思う。祖父母は長屋から滅多に出てこないので、この人数ではしんみりとしてしまう。
 それに――この寂しさの原因は、他にもある。我が家はもともと九人家族だったが、五年前の太平洋戦争中に二人の兄のもとに赤札が届き、それから間もなく戦死した。姉は二年前に嫁いでいってしまった。なので、僕はときどき置いてきぼりをくったような、体のどこか一部分にすきま風が吹いているような気持ちになってしまう。
 沈黙にたまりかねたのか、母が、白いご飯にととを添えて食べたいねぇ、とつぶやいた。「とと」とは魚のことだ。農家といっても主食は稗や粟、麦がほとんどなので、魚はごちそうだった。
「贅沢を言うな。のたれ死にせんだけでも、ありがたく思え」
 父は口から飯粒を飛ばして怒鳴った。
「……すみません」
 母は弱々しい声で謝った。たちまち険悪な空気が漂いはじめた。ご飯がまずくなる。
 すると、静子が身を乗り出して、
「そういえば昨日な、歌を歌いながら学校から帰っとったら、たまたま勝ちゃんに会うて、静子は歌手になれるぞって、褒めてもらったんよ。うち、うれしかったわぁ」
 と、満面の笑みを浮かべて言った。
「そう、よかったなぁ」
 母はぎこちなくほほえんで相槌を打った。
「どんな歌を歌っただ?」
「聴きたい?」
「やめろやめろ。飯をくっとる最中に騒ぐな」
 父がみだりに口を挟んできたが、僕は、静子の歌を聴きたいなぁ、と言ってやった。父は新聞を広げ、あからさまに目をそむけた。
 静子はせき払いを一つして、「銀座カンカン娘」を歌い出した。陽気なこの歌は静子の性格をそのまま表していた。張りつめていた居間の空気が和んでいくようだった。いつの間にか父も──新聞を読むふりをしながらも──つり上げていた眉を下げていた。
 我が家は静子に助けられている。二人の兄を失って姉が嫁いでいってしまった今、静子の明るい性格は救いだった。




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