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群衆(3)(絵・ひがしもとしろう)

群衆(3)(絵・ひがしもとしろう)



 ここ数年でこの街も結構廃れたよなー、煙草屋もなければ酒屋もない、俺がガキのころはあそこに画廊があったんだ、と、横の亀に同意を求められたが、適切な言葉が見つからず、かわりに、お仕事は何をされているんですか? と聞いた。まずはそっちが答えろよお、礼儀だろお。亀が、不服そうに首を伸ばしたり引っ込めたりしながら舌足らずな口調で言う。
 私はすぐに、中学校で国語を教えていることを、この男には告げまい、告げぬ方がいいだろうと直感した。多くの人間が教師という職業に反感を抱きこそすれ、好感を持つことはあまりない。私の経験上の確信である。
 あー、教師なんて嫌だ嫌だ。妻が、何かあるたびに言う。それに倣って娘も言う。私も、本当は教師なんて大嫌いだ。
 しばらくしてから、俺は版画家だ、と亀が言った。……版画家、ですか。私はちょっと意外な気がしておうむ返しに答えた。
 今、女を探しているところなんだが。
 女とは?
 家政婦というか、まあ、お手伝いさんだな。
 へえ。
 別に変な意味じゃないぞ。
 アトリエはどこにあるんですか?
 駅の裏の方の古民家を借りて、そこで制作もするし展示もする。よかったら一度遊びに来てくれ。
 ええ、ぜひ。
 私たちが取るに足らない会話を交わしている間も、群衆は、群衆という巨大な不可解な生き物は、目抜き通りの人々を片っ端から捕まえていきながら北上し続けている。あちこちで車のクラクションが派手に鳴らされるが、それもそのはず、群衆はもう歩道に収まり切れないほど膨れ上がっていて、車道にはみ出てしまっているのだ。怒声が飛び交い、パトカーのサイレンも聞こえ始めた。何やら血相を変えて軽トラックから飛び出してきた老人がそのまま悲鳴を上げる間もなくスッと群衆の一部となるのを目の当たりにした私は、恐怖を覚えるよりも先に、笑いを漏らした。




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