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十月(「なりそこない」)


Frank Harrison Trio - You Can't Go Home Again (2006)



朝。ぼくの心臓が窓辺に置かれているが、心音はいまもなおぼくの体内で響いている。なぜぼくの心臓が窓辺に置かれているのか、ということよりも、なぜ心音がわかるのかがふしぎだった。

   *

風がふけば無数の枝、無数の葉がひかりをふるいにかける。こまかいひかりの粒子が、ぼくの頭上でなにものかになりたがっている。
たとえば、鳥が飛びたつまでの、あのながくみじかい息継ぎのようすを、いつかだれかのまえで再現できたら、どんなにすてきだろう。

まひるまの蝶の消失点に目をこらす。

   *

あまりなじみのない海岸で、あまりにもなじみのない波間を見つめている。波は、いくどもふりかえりふりかえりしながらやってくる。そしてそれは数千、数万の歯車の集合体のようでもある。岸で待つものにはまだるっこしいしぐさだ。どうすればそこにいつかの日付を書きこめるのか。風がふけば精神は影を脱ごうとするが、からだはそれをこばむ。
ふいにおもいだす、きのうの雨のこととか。だれかの、だれでもない笑いにつられないよう、ぐっとくちびるをひきしめる。
まだやわらかな夕焼けがのこっている。波がいくら海をつれさろうとしても、海そのものが一冊の書物なのだからゆるぎようもない。

(帰宅すると、ベッドには〝にんげんのかたち〟がのこっている。じぶんはかつてにんげんだったのか。だとすれば、いまはなんだろう?)

   *

なりそこない。そのほころびが、やがてきのうの雨になればいい。




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