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十月


MONDO GROSSO / ラビリンス



毎朝、水道の蛇口をひねり、コップに水をそそぎながらも、なんていえばいいのだろう、いつもここから逸れていく感覚がある。それはけっしてふかしぎなものではない、むしろあたりまえすぎるがゆえに見すごしてしまっているだけである。
蛇口をいつもよりきつくしめる。これ以上、一滴もしたたりおちないように。

   *

鳥たちの影がつぎつぎと川面をかすめて過ぎ去っていく。あるはずもないわすれものをくわえたまま。
しらないひとと、よそゆき、のあいさつをかわす。この、だれでもなさ。

(釦は熟れる
ことのない果実)

空を見あげれば、いつでもどこでもわすれそびれているなにかがあり、それはまた、空を見あげることでおもいだすことができないなにかである。忘却ですらない、おもいでですらない、なにか。たとえば、存在のうめき、のようなものかもしれない。

   *

いつだって海は素朴なしぐさでページを繰る。なんでもないかのように、そしてなにごともなかったかのように、いともたやすく。そのたびに水平線の遠さはかすかに正気ではいられない。そのたびに水平線の遠さはわずかに身悶えしてしまうのだ。ゆらめく波間に浮かぶ無数の問いをどう生きればいいのだろうか。

(……大事なのは、だれがそばにいてくれるかではなく、だれかがそばにいてくれること。最愛のひとでなくてもいい。病院の看護師でもいいし、飲み屋で知りあった友人でもいい。とにかくだれかがぼくやわたしのそばにいて、ぼくやわたしの手をにぎってくれたまま、ぼくやわたしにはなしかけ、ほほえみかけてくれることが、大事なのだ。そういうことを、このごろ、考えるようになった。)

巻き貝のなかには巻き貝があり、その巻き貝のなかにも巻き貝があるのだと、そんなふうに巻き貝はえんえんと際限なくくるおしくつづいていくものだとおもっていたし、いまもそうおもっている。行き先も帰るあてもない、ただここにありつづける、ということ。

   *

突然、少年に呼び止められる。ぼくのこと、わかる? ときかれたので、わからない、とこたえると、少年はすぐにどこかへ立ち去ってしまった。

きのうの雨がまつげを擦過する。一瞬、ねむってしまったのか。遠雷の気配を察した耳がうずいている。下まぶたが軽くひきつっている。影のうすい少年だったな、とおもった。つかみどころのない少年だった、とも。
水平線はもうこれ以上、空の青さがながれおちないように、慎重に支えているようだが、ゆうがたになればたちまち黄金色が容赦なくなだれこんでくることだろう。

影よりさきに海をはなれる。いちどでいい、市バスに乗って風が死ぬところを見てみたい。

   *

人生をひっそりと、こっそりと生きているひとが好きである。できればそういったひととしりあいたいのだが、しかしどうすれば人生をひっそりと、こっそりと生きているひとと知りあえるのかわからない。

――サイの角のようにただ独り歩め(「スッタニパータ」)




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