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十月(Yおじさんのこと)

祖母の弟のYおじさんが大阪で亡くなった。享年八十。タバコ好きがたたって肺をわるくしていたというが、死因はわからない。
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中学三年のときだった。彼岸かなにかで親戚が一堂に会したとき、だれかに将来の希望をきかれたので率直に「マンガ家になりたい」というと、たちまち大ブーイングをくらった。おまえみたいな平凡な人間が夢見るなバカ、とまでいわれて奥歯をぐっとかみしめていると、Yおじさんがやんわりと場をとりなしてくれた。それからそのあとでぼくの部屋にきて、「いいたいやつにはいわせておけばいい、きみはきみの道をいきなさい」と耳うちしてくれた。
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高校三年の秋、近所のメッキ加工工場でアルバイトしてためたお金で東京へいくことにした。三十ページほどのマンガ原稿を編集者に見てもらおう、とおもったのだ。都内の保険会社に勤めていたYおじさんが同行してくれることになった。
一日で三社めぐった。K社の編集者はぼくの原稿をろくすっぽ読みもしないでじぶんが担当しているマンガ家の自慢ばかりしていた。S社の編集者もおなじようにぼくの原稿にさっと目をとおしてからじぶんが好きなマンガのはなしばかりした。三社目にむかうタクシーのなかでYおじさんはたえずぼくを励ましてくれていたが、ぼくはマンガ原稿を胸に抱いたまま、ただひたすらうなだれていた。
「もしかしたらきみ、十年後には人気作家の仲間入りになっているかもしれないよ」
まともに読んでももらえないだろうとあきらめていたぼくは、耳を疑った。あわてて視線をあげると、三十代なかばの編集者が満面の笑みをたたえていた。
「この原稿、あずかってもいいかな。ぼくがこんどの月間賞で推薦してあげるよ。なかなか大賞とはいかないとおもうけど、なにかの賞にはひっかかるんじゃないかな」
「よろしくお願いします!」そういってぼくは頭をさげた。
宿泊先のホテルにむかいながら、ぼくはYおじさんとなんども握手をかわした。目についた居酒屋にはいり、一杯だけビールを飲んだ。あのときのビールは格別だった。いまもぼくはビールが好きだが、あれほどうまいビールはない。たぶんもう二度と味わえないだろう。
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その後、賞をもらい、上京した。マンガ家のアシスタントをしているとき、ふいにYおじさんがぼくのアパートにやってきたことがある。なにをはなしたのかよくおぼえていない。もしかしたらたいしてなにもはなさなかったかもしれない。Yおじさんはぼくのことを気にかけてくれているようだったが、ぼくは終始、ぶっきらぼうな態度をとってしまった。そのことを、いま、ものすごく後悔している。
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人生の豊かさは、ひととの出会いにあるとおもう。どんなひとと出会い、どんなふうにかかわりあうか。ときには衝突することもあるだろうけれど、衝突しなければわかりあえないこともある。ものの見方や考えかたのちがいに気づくことで、じぶんの視野がいかに狭隘だったかおもいしるのだ。
そういえば、菩提寺のご住職が「いまは葬式でもなんでも効率化や簡略化がすすんでいるが、もっと迷惑をかけてもいいのではないか」というようなことをおっしゃっていた。人間、生まれてきたときもおおくのひとの手をわずらわせるのだ、死ぬときだってそれでいいではないか、それが感謝の気持ちをつたえるすべでもある、と。
たしかに、ひととかかわりあう以上、ひとに迷惑をかけるのは当然のことだ。ぼくはずっと、Yおじさんの世話になっていながらなんの恩返しもできていないことを悔やんだりうしろめたさを感じたりしていたが、それはそれで、いいのかもしれない。いい、というのは、つまり、ぼくにとってそれほどYおじさんの存在がおおきかったことの、そのあらわれだ。
Yおじさんだけではない、ぼくはこれからもおおくのひとの手をわずらわせ迷惑をかけるだろうが、そのぶん、できるだけ、めいっぱい期待にこたえたい。そして、すこしずつでも恩をかえしていきたい。
もし目のまえで、夢をふみにじられている子どもがいれば、こう耳うちをしてあげよう。「いいたいやつにはいわせておけばいい、きみはきみの道をいきなさい」、と。
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Yおじさん。あのときはたいへんお世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。




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