FC2ブログ

記事一覧

九月


Brigitte Fontaine - Comme à la radio 1969



カラスはどこへいくのか。カラスこそ、日常から非日常への扉をくぐる方法を獲得しているのではないか。……扉がしまっていれば、ひとは蝶番をこわしてでも無理やりこじあけるだろうか、それともはいるのをやめてしまうのだろうか。鍵をさがす、といってもどこにあるのかわからない。
しかし、カラスは、鍵穴をくぐるしかないのだと知っている。カラスは扉をこわすこともなく、あきらめることもなくすっと、むこうへいってしまうのではないか。むこう、というのは、カフカの声がした方角でまちがいない。

   *

声にも影があるらしい。「声」と「影」で――「声影」。この「声影」を、限りなく沈黙に近いそれを――〝カフカのカラス〟を――全身でうけとめながらものを書きたい。

(たしかはじめて書いたのは――ある日主人公は自分の影を失って混乱してしまう、妻は影なんかなくても別にいいじゃないと大して気にもかけないが、主人公はやっぱり自分の影が不在だと落ち着かず、できるだけ明かりのないところで生活しはじめ、このまま闇にまぎれていれば影を紛失してしまったことにうしろめたさを感じなくてすむと考えるようになる、そしてしまいには主人公こそが闇の住人、影の世界のしもべと化してしまう――という物語だった)

   *

「交尾期になると河馬の声は/奇妙に嗄(しわが)れたひびきを洩らす。」
T・S・エリオットの詩にこの二行を見つけたとき、たちまちカバを好きになった。もし交尾期にもかかわらずひたすら星のふる夜ばかり待ちのぞんでいるカバがいればぼくはそのカバを愛するだろう。
あかりのはいらないまどべで、ひとり、羽化したてのように、極東に生きることのあやうさについて思考をめぐらす。

  *

おかえり、というつめたい硬貨。それで缶コーヒーでも買えばいい。


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント