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九月


Coldplay - In My Place



 わが家の果樹園では、さっと風がふくたびに、赤や黄色の木の葉が、空のキャンバスにむかってまいあがります。そういった自然の一瞬一瞬の変化に、こころをおどらせたりしています。
 さっと風がふくと空にむかってまいあがる木の葉たち。そのなかに、ふたつみっつ、落ちてこないものがあります(きっと、あるはずです)。たましいがやどるとは、そういうことなのだとおもいます。
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 「古事記」を読めばわかるように、太陽や月(月――ツクヨミはとくに謎めいていますね。それほど夜は忌避すべき事柄だったのでしょうか)、火や水、土や風など、なにもかもが神さまとして具象化(名指し)されます。そのころのひとびとの目にはきっと、爪のあかや鼻くそ、秣にも神さまが映っていたはずです。
 ぼくたちはいま、その「名指し」を容易に迂回してしまっている気がします。人間の想像力、精神力がすべて、現実的かつ論理的な、あるいは科学的な方向へすすんでしまっている、だから自然に歯向かう行為ばかりを――あたかもそれが正当であるかのように――欲求してしまうのでしょう。
 子どものころ、「古事記」を読んで感心したのは、神さまにも喜怒哀楽があることです。スサノオなんて、ほんとうにあぶなっかしくて、不器用で、短気、そのくせどこか憎めない。相手を恨んだり、しかえしをしたり、いじけてみたり……へんないいかたですが、ぼくたちよりも〝よっぽど人間らしい〟。
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 個人的には、救われる、というよりは、救われない、ということに、ほっとします。きっとどこかにそういう読者もひそんでいるようにおもいます。
 救われることは、巣を喰われることだと、おもっています。
 なにか判然としないものに巣を喰われるよりは、巣を喰われない物語を読むほうが――ようするに救われないほうが――マシです。
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(……アポリネール研究の第一人者が「ある時代の雰囲気を知ろうと思ったら、大作家や大詩人にばかり注目してはならない。かれらは、時代を超えた存在となっているが、かれらよりは、むしろ、いまでは忘れられている群小作家の作品や小雑誌を読む必要がある。そこには、時代が色濃く影を落としているのだから」と述べている……)
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 あるいは書き手は、傑作を書く以上に、失敗作を書くことを強いられているのではないでしょうか。


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