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静けさの復習(97)

 はずだった。こいびとが真顔でへんな――でたらめなフラダンスのような――動きをしていたので、
――へんな動き。
 といって笑うと、こいびとはなおも真顔で、
――昭和の踊り。
 といった。
 ぼくたちは夜が明けるまで昭和の踊りを踊った。
 はずだった。ぼくたちはいつものように虹のかけらにつまづきながらカフェにはいる。店内では中年男性が女性店員に向かって大声でなにかを非難していた。ほかのお客さんもずいぶんと迷惑がっていた。ぼくたちはだれにも見られないうちにもう一度、虹のかけらにつまづきながらカフェをでた。虹のかけらにつまづいていればなにごとも忌避できるのだとぼくたちは固く信じている、信じていた。はずだった。帰り道。ふいに視界に過ぎった紫陽花があざやかで、あざやかすぎて、なんとかその残像をそのまま脳裏に焼きつけようと目をつぶったら一瞬、車にはねられたときの記憶がよみがえってきて、その記憶は紫陽花以上にあざやかで、あざやかすぎて、もしかしたらこのまますべての記憶がよみがえるのではないかと思った。思ったが、だめだった。目を開けるとなぜか紫陽花さえももう、あざやかでもなんでもなく、まちのあちこちに〝とりあえず〟のかけらばかりが貼りつけられていた。はずだった。そうだ、買い物の途中にある空き家の窓ガラスが何者かに割られていたこともあった。こいびとはなにかを見つけたらしく、ささっと敷地に忍び込んでそのなにかを拾って戻ってきた。それ、どうするの? とぼくが訊くと、こいびとはひとこと、「戦利品」といって笑った。はずだった。(これまでこいびとが――存外、素面のまま――道で拾ったものは、たとえば錆びた製図用烏口、焼き鳥屋の暖簾、水道の蛇口、鰐のぬいぐるみ……)こいびとが腕を組んだままちゃぶ台のまえでえんえんと行き来している。ときどき下手な鼻歌をうたいながら。たまにうんうんとなにかに納得しながら。はずだった。ぼくはそんなこいびとの歩行をくりかえし頭のなかで反芻しながらも木琴、そうだそうだ、ぼくはいま、木琴のうえを歩いているのだという感じの歩行を目指す。ぼくはいま、たしかに木琴のうえを歩いている。木琴のうえを歩いているからといってなにがどうなることもない。ただ木琴のうえを歩いている感じの歩行を目指すということだけが、ぼくにとってのその日の楽しみだった。すべてが、そんな、はずだったのだ。
――ひゃ!
 こいびとが奇声を上げた。
――きょうはミャー子の命日なんだ。お墓参りしなきゃ。
 ミャー子とは、その語感からしてきっと猫だろうとぼくは察した。
――ミャー子のお墓はどこにあるの?
――それはまだわからない。
――でもきょうはミャー子の命日なんだね。
――うん、それはまちがいない。
 窓辺で二匹の蝶が、まるで帰属すべきところのないもののようにたわむれている。
 蝶を見つめながら、羽が痛くなることはないかしら? とこいびとはつぶやく。たぶんきっと、こいびとはいま、羽が痛いのだろう。
――きょうはミャー子の命日なんだね。
――……ミャー子ってなに?
 はずだった、ぼくたちは波のなかで波を見つづけた。見つづけているうちに波は波でなくなり、波ではないべつのなにか、であろうとするなにか、だった。ぼくたちはそれがなにかを探した。波はなにかであり、なにかは波である必要があった。
 波は、まるで卯の花のように白く、それでいてどこかせつない。さようなら。別れの挨拶はたったの五音だ。カタツムリも、かまいたちも、愛しているも――。
 こいびとは、このごろ頻繁に、執拗に、キスのことを「くちすい」というようになった。
――これはキスでも接吻でもなく、ただのくちすいです。
 と。
 ぼくはその都度、くちすいはいやだといってただちにいいなおしを命じた。しかしこいびとはぼくの命令にしたがうことなく、くすくす笑いながら、くちすい、を連呼した。
 ぼくは、じゃあくちすいでいいよ、とはいわなかった。いえなかった。そのことばの使用を認めた瞬間、きっとなにかが音をたてて崩れ落ちてしまうだろう。それがこわかった。いや、それ以上に、もう終わっていることを終わらせるのが、ひどく億劫だった。
   *
 気がつけばぼくたちは波打ち際に転がっていた。まだぼくたちはこいびとなんだ、やっぱりそうなんだと、ぼくは何度もじぶんにいい聞かせた。


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