FC2ブログ

記事一覧

静けさの復習(96)

 ぼくたちは手をつないだまま、波のなかを転がる。
 波のなかを転がりながら、ぼくは「好きだ」といった。「愛してる」とも。するとこいびとも「好き」といった。「愛してる」とも。
 そんなことを意味もなくくりかえしながらぼくたちはなおも波のなかを転がる。まるで樽のようにころころ転がる。
 もし明日という日が、ふたつ以上あるなら、たとえば正しい明日とか、まちがった明日とかがあるなら、ぼくたちはきっとまちがった明日に向かっているのだと思う。まちがった明日に向かっているからこそ、こんなにも苦しくて、せつないのだ。
 まちがった明日では、ぼくは早速家の外にでて郵便受けに手紙を入れる。そしてそのあとこいびとが郵便受けのなかから手紙を取りだす。一時間交替でそんなふうに手紙のやりとりをしていると、ぼくたちはなぜかこいびと同士でいられる。いつまでもこいびと気分を味わっていられるのだ。
   *
――あ、天使。
 とこいびとがいった。
――どこ?
 とぼくは顔を上げる。
 こいびとは、つながっていないほうの手で、天使がいるだろう方向を指差す。ぼくはそこを見るが、わからない。
――鳥じゃないの?
 とぼくはからかう。
――ほら、あそこ。
 なおもこいびとは急きたてる。はずだった。
   *
 はずだった。それは、いったいいつだったろう。こいびとがちいさめの――胸のなかにしまえるほどの――キャンバスを買ってきたことがあった。
 そのキャンバスを慎重に窓辺に置きながら、
――名前をつけて。
 という。ぼくは腕を組んで考えるふりをしてみせてから、
――ひびき。
 と答えた。
――決まり!
 こいびとは笑い、ぼくも笑った。はずだった。


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント