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八月


GoGo Penguin - A Hundred Moons (live at Low Four Studio)


冷蔵庫からミネラルウォーターをとりだしてがぶがぶと飲む。
一瞬、視界をよぎった鳥のはばたきを、いったいどう語ればいいのか。
語ることもまたさびしいものだと、がぶがぶ、
がぶがぶと飲みながら考える。

   *

どのまちも観光客の視線にさらされようとする。
経済的利益とひきかえに従来の素朴さのおざなり。
こうでもしなければ生きのこれないのだろうか。
右を見ても左を見ても柵、
歩道や車道にまで柵がある。
のっぺらぼうの排外主義がはびこり、
グローバリズムへの反発とナショナリズムのゆりもどしを盾に、
依然としてヘイトスピーチは拡声器を手ばなそうとしない。
顔のあるもの同士が
すれちがっているときは赤の他人であるのに、
まちがった群れかたをすればたちまちおなじ文脈、
おなじ思考にながれるのは、
こうでもしなければ生きたここちがしないのか。
四方八方、だてメガネが乱れ飛ぶ。
怒声が飛びかい、脚本がまいあがる。
だれかに足をふまれた。きりぎりす。

   *

郵便局の角をまがると百年たっていて、
しっているひとがひとりもいない。
いそいで商店街にひきかえす。
故郷というのは、
はなれるか、
うしなってみないと
わからない。

   *

きのうの夜、NHKEテレでアニメーション映画『聲の形』をやっていた。
子どもは純粋であるがゆえに、その純度をもてあますことがある。
もてあますというのは、はきちがえることでもある。
ときには残酷にもなれる、ということでもある。
西宮と石田。きこえないものに耳をかたむける少女と、
きこえるものに耳をふさいでしまう少年。
きこえることのつらさと、きこえないことのさびしさ。
手話は〝想い〟の言語である。
しかし、西宮は石田に想いをつたえるとき、
手話をつかわなかった。おおごえで、さけんだ。
他人が他人でなくなるとき、あるいは
じぶんがじぶんでありたいとき、
おもいきり視線をあげ、
おおごえでさけぶ必要がある。
こうでもしなければ、だれともつながらない。

   *

もう何年もまえから電話が鳴っているがきょうもでない。きりぎりす。


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