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静けさの復習(84)

静けさの復習(84)(写真・時本景亮さん)
(写真・時本景亮)


 ぼくたちは百円ショップで紙コップと糸、それから穴を開けるための錐を買い、糸電話をつくった。
 一枚の扉のこちら側で、もしもし、とぼくがいうと、一枚の扉の向こう側で、もしもし、とこいびとが返事する。
 聞こえますか? とこいびとがいえば、ぼくは、聞こえます、とこたえる。そういった単純なことばのやりとりをくりかえす。
――別れるときはちゃんと別れるっていおうね。
――さようなら。音にすればたったの五音だ。
 夕方までえんえんとくりかえしたが、むしろおたがいのよそよそしさは深まるばかりだった。
 ぼくたちは糸電話をあきらめて、メロンパンを食べることにした(やけに砂っぽいメロンパンだった)。こいびとはこいびとで、ぶどうを食べはじめる(やけにふてぶてしそうなぶどうだった)。
 こいびとは、まるでなにかに憑りつかれたかのように、一心不乱にぶどうに食らいつく。口の端から紫色の果汁をしたたらせながらつぎからつぎへとぶどうを口のなかにつめ込んでいく。
 ぼくはじっと、ただただじっと、こいびとに憑りついているものの正体を見定めようとした。
 何度も見定めようとしたが、見定められなかった。
 なぜだろう、すぐそばにこいびとがいるというのに、まるで障子の破れ目からのぞいているような、そんなうしろめたさやもどかしさがある。だからぼくはなかなかこいびとの顔を直視できない。
 こいびとはぶどうを食べ終えるたびに冷蔵庫のなかから新しいぶどうを取りだした。ぶどうは、まるで冷蔵庫のなかで半永久的かつスピーディーに増殖しているかのようだった。


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