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静けさの復習(71)

静けさの復習(71)(写真・時本景亮さん)
(写真・時本景亮)


 布団から身を起こすと、こいびとがソファのうえに体育座りのように座ったまま、アダルトビデオを見ながら缶ビールを飲んでいた。なぜかぼくのTシャツを着ている。パンツははいていない。
――どこにあったの?
――……なにが?
――その、ほら、ビデオ。
――机の引き出しのなか。レンタルの有効期限、切れてたよ。
――どのくらい?
――んー、一週間くらい、だったかな。
――かえしそびれたのかな。
――さあ。
――延滞料、払わなくちゃいけない?
――知らない。
――どうしよう。
――いいんじゃない、ほっとけば。
――ビデオ、消しなよ。
――なんで? おもしろいよ。
 ぼくはふいに、こいびとが少女だったころのことを想像した。こいびとはいったいどんな女の子だったのだろう。髪は長かっただろうか、それとも短かっただろうか。勉強はできただろうか。友だちは多かっただろうか。よくしゃべるほうだったか、それとも無口だったか。
 ぼくは、あるいはもう一度、こいびとのことを知るための口実としてなにもかも忘れたふりをしているのではないか、と思った。ほんとうはぼくはぜんぜん記憶を失っていないのだけれど、思いだそうとすればいつでも思いだせるのだけれど、でも、それではつまらない、もう一度こいびとを知ることはできない。だからぼくはわざと記憶を失っているふりをしているのではないか。ぼくはたぶんきっと、じぶんが思っている以上に彼女を好きなのだろう。ぼくのこの気持ちを察知して、こいびとも記憶喪失ごっこにつきあってくれているのだ。そうでなければ辻褄があわない。車に轢かれたときにいっしょにいたというだけで、ぼくたちがいまだにいっしょにいることの説明がつかない。ぼくたちが――相手のことをほとんどなにもわかっていないまま――なおもいっしょにいられるのは、どちらかが正気であるか、どちらもが正気であるか、そのふたつしかない。どちらもが記憶を失っているままいっしょに暮らすなんてことが、こんなにも滑稽なことがあっていいのだろうか。あっていいはずがない。というか、あってはいけない、ぜったいにあってはいけないことだ。


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