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静けさの復習(68)

静けさの復習(68)(写真・時本景亮さん)
(写真・時本景亮)


 その日、ぼくたちは桃の缶詰と缶切りを買った。桃を食べたかったわけではなかったが、桃の缶詰を見た瞬間、ああ、しばらく缶詰を開けたことがないな、ひさしぶりに缶詰を開けてみたい、開けてみようではないかと思ったのだ。
 早速、帰宅するなり桃の缶詰をテーブルのうえに置き、缶切りをもった。缶詰のふたに穴を開け円周に沿っていたわるように愛でるように、同情するようにきこきこしていると、かえってそのきこきこ音にいたわってもらっているような、愛でられているような、同情されているような、なぜかそんな逆説的な錯覚を抱いた。
 中身の桃をシロップごとお皿に移しながらこいびとに「食べる?」と訊くと、こいびとは「食べる」といってちいさくうなずいた。
 こいびとにもきこきこ音を聞かせてあげたかったなとすこし残念に思いながら「どうぞ」というと、「ありがとう」とかえってきた。
 ぼくも、こいびとも、積極的に語感を大切にするたちだと思う。語感がわるいものは受けつけない。語感のわるいところにも近づかない。たとえば、キュウリよりもキウイ、ボールペンよりもシャーペン。居酒屋よりもファミレス。
 ただひとつだけ、ゴキブリ、という語感については意見が分かれた。ぼくはゴキブリは見た目も語感もわるいと思うのだけれど、こいびとは見た目も語感もわるくないと主張する。じゃあきみはゴキブリをつかまえられるのかというと、つかまえられない、とかえってくる。だったらきみにとってもゴキブリは気色わるいわけだ、とさらに詰問すると、こいびとはくちびるをとがらせていまにも泣きそうな顔になった。しかし、それでも、気色わるいけど気色わるくない、語感もわるいけどほんとうはわるくないなどと、子どもじみた――ほとんど狂気じみた!――ことをいいつづけるので、最終的にはぼくが折れた。わかった、わかったよ、ゴキブリは見た目は気持ちわるいけれどわるくない、語感もわるいけれどわるくない、それでいいよ、と。するとこいびとの目に生気が宿り、ゴキブリは見た目は気持ちわるいけれどわるくない、語感もわるいけれどわるくない、それでいいにしよう、許してあげる、といいながら、布団にもぐった。ぼくは、たぶんきっと、彼女はこの日のことを根にもつだろうなと直感した。なにかいいあいになったとき、そういえばあなたはゴキブリが気色わるい、語感もわるいってさんざんいっていたけれど――なんて、終わったことを、どうでもいいことをぶりかえされるんだろうな。
 翌朝。箸がうまくつかえないというこいびとのかわりに、ぼくはこいびとの口にごはんを運ぶ。野菜を運ぶ。プリンを運ぶ。湯呑くらいならもてるだろう? と訊くと、こいびとはううんもてない、飲ませて、という。
――顔をもっとうえに上げないとこぼれちゃうよ。
――……首の動かしかたもわからない。
 案の定、こいびとの口の端からお茶がこぼれて服の襟をぬらす。もう訊かなくてもわかる、のどの動かしかたもわからないのだ。
――生きのびるってむつかしいね。
 ぼくはそういって笑った。
――うん、むつかしいね。
 こいびとは笑わなかったが、首肯した。
――あ。いま、うなずいた。
――あ!
 こいびとは、なぜか隠し事が見つかったときの子どもみたいにうなだれた。


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