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静けさの復習(65)

静けさの復習(65)(写真・時本景亮さん)
(写真・時本景亮)


 机の引き出しにボイスレコーダーがあった。いまにも電源が切れてしまいそうだったが、つかえるかどうか、ためしに「愛しています」とか「さみしいです」とか「ほどほどに」とかいろいろと吹き込んでみた。
 再生ボタンを押すと、ややくぐもった声で「愛しています」とか「さみしいです」とか「ほどほどに」とかいろいろと吐きだされる。
 また再生――「愛しています」「さみしいです」「ほどほどに」。
 またまた再生――「愛しています」「さみしいです」「ほどほどに」。
 こいびとが百円ショップの爪やすりで爪を磨いている。スーパーで手に入れたチラシのうえにこいびとの爪の粉が落ちていくのを眺めながら、ぼくはジーンズのポケットのなかで再生ボタンを押す。
 愛しています、さみしいです、ほどほどに……。
 こいびとが動きを止めてぼくを見上げた。
――なにかいった?
――うん、くるぶしがきれいだ、といった。
 ぼくが率直に思ったことを伝えると、こいびとは目を伏せたまま、そのうえ、あまりにもそっけない声音で、「ありがとう」という。
――あるいは、きれいなのは、くるぶしだけだ。
 ぼくはすかさずいいなおす。
 それでもこいびとは目を伏せたまま、そのうえ、あまりにもそっけない声音で「ありがとう」をくりかえす。
 こいびとの爪が、なぜか錠剤のように見える。なぜだろう、なぜそんなふうに見えるのか、わからない。わからないまま、ぼくはためしにこいびとの爪を舐めてみた。予想どおり、いくら舐めてもこいびとの爪は溶けない、溶けなかった。愛しています、さみしいです、ほどほどに……。


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