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美術館の順路

 美術館の順路にはそれなりの理由があるのだろうが、もうすこしこちら側(鑑賞者側)の恣意を信用してほしいともおもう。あるいはわざと「どこにも向かわない歩行性」を容認する方法はないか。たいせつな場所へいくことは、とまどいやもどかしさ、ふたしかさをともなう。ときにはそれは喪失につながるかもしれない。それでもひとは歩むのだ、歩まなければならない。
(……美術館の構造は花譜に似ている。一歩一歩足をまえへふみだすたびに、あるていど、じぶんの感覚や感受性の基層と共振するようにつくられている。歩行と思考、足と脳、この「もの」と「こと」の共演を、順路によって規定され保証される、系統立てられる。)
 しかし、できればおのが歩みの方向性から逸れながらも、作品とじぶん、じぶんと作品とのかかわりのおかしみやふかしぎさ、を味わいたいものだ。ここではないここに居場所があったり、どこでもないどこかにわたしがいたりする。なにもない、とおもわれたところになにかがある、というのは、美術館の、美術そのものの醍醐味なのだから、せめて歩行の奔放さくらいは担保してほしい、とおもうのだけれど、こういったことをひとにいうと決まって「だって美術館はみんなのものだろう?」というような――ため息まじりの――返事がかえってくる。そうか、みんなのものにはそれなりの道筋が必要なのか……よくおぼえておく必要がありそうだ。
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