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静けさの復習(55)

 こいびとに追いついたとき、ようやくぼくは、先ほどの青年がぼくとうりふたつだったことに思い至った。
――きょうはどこまで歩こう。
 とこいびとはいった。
――どこまでも、はてしなく。
 とぼくはこたえた。
 あおぞらのあちこちに鳥の影が残っている。鳥はたまに――気に入ったところに、気まぐれに――影を残す。こいびとはいつもそれを「空のいれずみ」と形容する。あまりすてきだとは思わないけれど、すてきだね、とぼくは嘘をつく。
 そのまま、まっすぐすすむとちいさなカフェがあった。入り口付近に立てかけてある黒板には「本日のランチ」がふたつ書かれていて、ぼくたちは「鯖の塩焼き」にした。
 しかし、どういうわけか店員がもってきたのは「鯖の塩焼き」と「鶏のから揚げ」だった。ぼくは即座に「鯖の塩焼き」をふたつ注文したことを告げたが、店員は心底驚いたように目を見開きながらぼくが注文したのは「鶏のから揚げ」だという。ぼくもまた心底驚いたように目を見開き、こいびとに助けを求めたが、こいびとは知らんぷりだ。結局、ぼくが折れた。店員はお辞儀をひとつするなりそそくさと店の奥にいってしまった。
 ぼくは鶏のから揚げなんか頼んでいない、とぼくはいきどおった。こいびとは、聞いているのかいないのか、鯖の塩焼きをひとかけら口に入れて、これ、おいしい、と囁く。ぼくも鯖の塩焼きがよかったなと、なおもぼくはいきどおってみせるが、こいびとは何度も、おいしい、おいしい、と囁きながら鯖の塩焼きを口に運ぶ。ぜんぜん聞いちゃいない。というか、ぼくのことなんてこれっぽっちも意に介していない。
 ぼくは今度はこいびとに向かっていきどおる。小言をふたつみっつ、投げつける。しかし、こいびとには効果がない。まるで音のない森の静けさ、無関心さ。
 食後、ぼくはコーヒーを、こいびとはレモンティーを飲んだ。こいびとはレモンの輪切りをかじり、「すっぱい」といって、笑った。


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