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静けさの復習(35)

静けさの復習(35)(写真・時本景亮さん)
(写真・時本景亮)



 そのことをいま思いだした。たったいま、記憶がひとつよみがえったのだ。
 ぼくは驚きのあまりこいびとの顔を見た。ぼくの反応が大げさだったため、こいびとも驚きのあまりぼくの顔を見かえす。
 ぼくは、しかし口をつぐんで、こいびとの顔から視線をそらした。こいびとは、しばしふしぎそうにぼくの顔を見つめていたが、そのうち視線をそらした。
 あやうく記憶がひとつよみがえったことを告げてしまうところだった。もしそのことをこいびとに告げたらこいびとはどう思うだろう。焦るだろうか、それとも妬むだろうか。いや、こいびとはきっと「よかったね」といってくれるにちがいない。
 しかし、だ。ぼくはまだたったひとつの記憶、しかもたいして重要ではない雨の日の記憶を思いだしたにすぎない。たったそれだけのことで、いまのこの均衡を崩したくはない。だからもうすこし様子を見ることにしよう。
 というかもうぼくたちはじぶんが何者なのかとかこれからどうすればいいのかとかそんな瑣末なことよりも、もっと手っとり早くおたがいの関係性を取り戻すためにはくちづけとか抱擁とかそういった直接的な儀式のほうが重要なのではないか。
 というかいっそのこともう一度、最初から――たとえば交換日記のようなものから――やり直せばいいのかもしれない。
 バス停のまえで出会ったおばさんが、飼い犬を指しながら「これは憲法よ」といった。
――わたしは毎日、この時間に憲法を連れて散歩しているの。だって散歩中、わたしはこの犬にしたがうしかないのですから。それで毎日、この時間にここで一休みするのよ。散歩といっても時間は厳守。十年間、ずっとそう。
――カントみたいですね。
 とぼくはいった。
――カント?
――イマヌエル・カント。時間に忠実だった哲学者です。
――わたし、哲学なんか知らないわ。でも、哲学も法律も、肝心なのは時間だわ。
 目のまえの空き地では学校帰りの少年たちが、たとえばボールを蹴るときの軸足の踏み込みかたについて意見を交わしている。
――毛虫は、軸足はどうなるの?
 ふいに短髪の男の子がそういうと笑いが起こった。
――毛虫はそもそもサッカーなんかしない。
 眼鏡をかけた女の子が冷ややかに反論する。
 平和だ、とぼくは思う。
――仲がいいのね、あなたたち。つきあっているの?
 おばさんの声はどこか素っ頓狂だった。
――ええ、まあ。
――あら、そう。へー。
 おばさんはなおも素っ頓狂な声を発しながらぼくたちをまじまじと見た。憲法もぼくたちをまじまじと見ている。
 平和だ、とぼくは思った。


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