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静けさの復習(17)

 ぼくたちはいっしょに毛布にくるまってカップヌードルを分けあった。どうしてさみしさがつのればつのるほどカップヌードルはおいしいのだろう。
 おいしいね、といえば、おいしいね、とかえってくること。プラスチックのフォークでさえいとおしい。
 ぼくたちは、そもそもこいびとかどうかということよりも、記憶を失っていながらもまだひとりではないこと、こだましあえる関係であることを幸福だと思ったほうがいいのかもしれない。
 幸福とは、あるいはひとりではないことが前提なのかもしれない。
 ひとりのときにひとりで記憶喪失になった場合、どんなに絶望的だろう。ふたりのときにふたりとも記憶を失うことよりもうんと、絶望の底は深い。そんな気がする。
 ぼくはまなざしでこいびとに感謝した。するとこいびともまなざしでぼくに感謝してくれた(ようだった)。


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