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静けさの復習(4)




 波は、まるでぼくたちのことを肉親か友人、あるいは恩師のように思っているのか。ぼくたちが近づけば近づくほど親しげな、あまりにも親しげな身振り手振りをくりかえす。心から歓迎してくれる。
――ぼくたちはかつて水棲だったかもしれない、いやきっと水棲だったんだ。海を眺めているとなんだか太古の記憶がよみがえってきそうだ。
 ぼくは波打ち際で思いきり伸びをしながら思いつきを口にした。
――わたしには魚や海草や珊瑚に囲まれて暮らしていた記憶があるわ。来る日も来る日もえんえんと海のなかで暮らしていた記憶が。そのうちきっとわたしたちの手や足には水かきができるんだと思う。
 こいびとは、いともたやすくぼくの思いつきに乗っかってくれる。
――ぼくたちはまず河童だったかもしれないね。
 ぼくは冗談を飛ばす。
――ええ、また河童のように愛しあいましょう。
 こいびとが冗談を受け止める。
 木製の椅子からパイプ椅子まで、ありとあらゆる種類の椅子が打ち捨てられている。脚が折れた椅子もあれば、新品同様、白木の椅子もある。絶え間なく寄せてはかえす波のいたずらを、むしろいとおしむように椅子たちは、ここに、この場所に――かすかにおたがいの〝ものとしての存在性〟を主張しながらも――ただ「在ろう」としているかのようだ。
 ぼくたちは、けれどもどの椅子のことも無視した。ひたすら無視してやり過ごした。もし「椅子が……」などとはつおんしようものならきっとよからぬことが起こるだろう、なぜかそんな不吉な予感がしたのだ。
 海は、きっかけさえあればいまにも理不尽に暴れたがっているみたいで、ぼくたちはもうとっくのとうにそのことに気づいている。いやというほど身に染みている。だから絶対にこの海のまえで「椅子が……」などと軽々しくはつおんしてはいけない。ぜったいに。




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