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かくれみの

 子どものころはよく「秘密基地」やら「屋根裏」やら「地下道」やらに――いろいろな〝かくれみの〟に――魅力を感じていたが、一等好きだったのは、机のした、だった。年端もいかないぼくにとって勉強机のしたは「もうひとつの部屋」だった。
 机のしたにもぐりこみ、目をつむり、膝をかかえてじっとしていると、闇が親しいものに感じられたし、窓をたたく風の音の心地よさや地球にはちゃんと重力があること、もうすぐ夕ごはんが食べられることなど、そういったすべての「もの」や「こと」にほっとしていられた。
 さすがにいまは机のしたにはいろうとはおもわない(というか、せますぎてはいれない)。
 しかし、いまだに〝かくれみの〟を求めたりさがしたりするじぶんがいることはじじつだ。子どものころ、あちこちにあったかくれみのは、みっつになり、ふたつになり、いつのまにかひとつもなくなってしまっていることに気づいたときのショックといったらない。あるいは、書くことがそうだろうか? 音楽をきいたり絵を観たりしているときがそうだろうか? しずしずと自問してみるものの、予想どおり胸のうちがわでいたずらに谺するだけで、むなしさや胸苦しさ、よりどころのなさはよりいっそう深まってしまう。
 じぶんでじぶんをまるごと抱きしめられる居場所というのは、そもそもあるのだろうか。
 あるのだとすれば、もしそこをさがしあてられなくてもいい。
 あるのだとすれば、「ある」のだと、じぶんにいいきかせることもできるし、希望ももてる。だれかに「ある」のだといってあげられる。
 それはそれで、すてきなことだとおもうのだ。あるのだとすれば。
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