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わたしと亀と清志郎(22)

わたしと亀と清志郎(22)
(絵・ひがしもとしろう)



 某月某日
 わたしの机のすみっこには小型の扇風機がありぎこちなく首をふりつづけている。清志郎はどういうわけか扇風機の風をきらう。扇風機の風を浴びると、あるかなきかの慟哭の声をあげて逃げだしてしまうのだ。わたしはたまにこの小型の扇風機で清志郎をおどすことがあるが、そういうとき、ほんとうは泣きたい。泣きたくても泣けないからこそ清志郎をいじめなければ気がすまない。
   *
 わたしはなんとなく、新聞紙を一枚いちまい、くしゃくしゃにまるめて清志郎のまわりに落としていった。清志郎は、活字だらけの紙の出現におどろいたのか、あわてて別の場所へ避難しはじめる。おとす、おとす、おとす、わたし。にげる、にげる、にげる、清志郎。こちら側と向こう側――。ふいに、気づく。わたしたちのあいだにすっとひかれた、とらえどころのない一本の線、それにうろたえているのはああ、わたしだ、わたしのほうだ。
 清志郎をいたずらにもてあそんでしまったわたしは急にかなしくなった。なんておろかなことをしたのだろう。
――ごめんね、清志郎。
   *
 ここはどこ?……わたしは半分、際涯のないぬかるみのなかで、せっせとあみものをしている。清志郎のために帽子を編んでいる。しかしおもいのほか二の腕はかるく、指先はくねくねしていて、いうことをきかない。あせればあせるほど赤や紫や黄いろの糸がにぎやかにからまってわけがわからなくなる。輪郭も骨格も、ややずれている。脊椎が、このわたしをも拒もうとする気配をただよわせている。わたしは、はやく衣服を一切ぬぎ捨ててしまう必要がある、とおもう。ただ、ぬかるみはあかるくてそのあかるさがわたしを救った。ちっともこわくない。
――たまにはぬかるみとの情事もいいものね。
   *
 ああそういえば、わたしはなかなか本を――うすい絵本でさえ――読みおえることのできない子どもだった。最後のページを閉じてしまうのがいやでいやでしかたがなかった。最終ページを閉じたとたん、本のなかの物語といっしょにじぶんまで消えてしまいそうで。そのことを祖母にうちあけると、
――なかったことになんかならないわよ。なにもかもあったこと、あったことよ。
 やさしく頭をなでてもらえた。
――おばあちゃんは読書、すき? どこかへいきたい?
――そうね、あんたはどう? どこかへいきたい?
――あたしはどこにもいきたくない。ずっとここにいたい。
 わたしはいちおうそうこたえてみたものの、ここ、という場所も、いやだった。結局どこにいてもいやでいやでしかたないのだった。
――あたし、本はいらない。はじまりとおわりなんて、読みたくない。
――うんそうね、読まないでおこうね。はじまりとおわりなんて。
 いつもそこで記憶はとぎれる。あのときの祖母の表情はどんなだったか。
   *
――あんたはほんと、耳のいい子ね。
――ううん、わたしは耳のわるい子よ。
――耳がわるかったら、こんなにも上手に亀さん、つかまえることはできないよ。あんたはきっとこころの耳がいいのよ。
――おばあちゃん! こころなんかに耳はないよ!
   *
 あくる日の朝、さりげなく空の青を反射させたあぜ道のみずたまりに、清志郎をほうった。しかし、その日のうちにかれは――文字どおりのこのこと!――わたしの家に帰ってきた。帰ってきてしまった。




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