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わたしと亀と清志郎(4)

わたしと亀と清志郎(4)
(絵・ひがしもとしろう)



 某月某日
 この村からは、地平線も、水平線も、見えない。つめたい雨がしずかに家や田畑、道路を濡らしつづける。打ち捨てられた自転車、子どもたちの傘、黄色いランドセル……。わたしはゆっくりと窓を閉めて鍵をかける。そして、亀さがしにでかける支度をする。
   *
 わたしは週に四日、村じゅうを歩きまわって亀を拾う。きのうは、二匹とも、弁天さまの祠のまえで――ああ、いまおもいだしても、琴線のように気品のある亀だった。
 いい亀は、すこしふれただけで、たとえば地名のようなことばのひびきを奏でる。そのひびきは、その亀そのものといっていい。亀には亀のありようがあり、わたしにはわたしのありようがある。だから亀のありようによりそうことのできないものは、いくら亀を見つけようとしても見つけられないのだ。
   *
 亀は、つめたく、せつなく、それでいて「安寧」を養う。わたしはきょうも、なにものでもないものとしての失意をまといながら、つぎからつぎへと亀をつかまえる。なにものでもないものとしての失意、それは亀売りとして亀をつかまえるための常套手段だったが、あんがいいいわけのためのいいわけのようなものかもしれない。
――まあ動機なんてなんでもいいわ。
 わたしはひとりごちる。
――けっきょく、だれも、なにものでもないのだから。
   *
 ひとつだけ、注意しなければならないのは、日向にあおむいたまま気持ちよさそうにねむる亀だ。そういう亀に手をだすのは御法度なのだ。なぜなら、亀の機嫌をそこねずにつかまえるのが亀売りの面目なのだから。
 それにしてもなぜ亀なのだろう。なぜこの村には亀がたくさんあらわれるのか。この疑問が脳裏をかすめるたびに、わたしは、わけもなくおののき、うちのめされてしまう。




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